シュンペーター家はドイツ人で、ドイツ語を話していた。ではなぜ、モラヴィア(現チェコ)にドイツ人のシュンペーター家が暮らしていたのだろうか。

 中世から近世へ、ドイツ人の東方殖民が続いた。ドイツの農業技術の向上によって人口が増加し、農地を求めた大移動である。中東欧のスラブ諸侯による殖民の要請もあった。その結果、中東欧に幅広く多数のドイツ人が住むようになったのである。多くの中東欧では地元のスラブ系民族とドイツ人が混在するようになっていた。12世紀に始まるのだから、700年から800年という時間を経た結果である。

 中央ヨーロッパの地理を頭に描いていただきたい。ドイツの西側の境界は南から北へ流れるライン川である。ライン川西岸をめぐる独仏の領有権争いは歴史上、何度も起きているが、それでも西側の境界は比較的わかりやすい。

 一方、ドイツの東側境界ではスラブ語族と混在しながら東方殖民が進み、20世紀半ばまで800年のあいだ、ドイツの東部境界はモザイクのように多民族が入り組んでいたのである。ちなみに、ドイツの南側には西から東へドナウ川が流れ、この大河の南方はローマ帝国の領地であった。

 ざっとドイツの地理がおわかりいただけただろうか。「ドイツ Deutsch」とは、もともとライン川東部で使われていた「民衆の言語」という意味である。英語では「チュートン Teuton」という。ドイツ語を話す諸部族が住む領域を「ドイツ」としたわけだ。

シュンペーター家は13世紀に
騎士から職人になった?

 さて、シュンペーター家である。長大な評伝を書いたロバート・ロアリング・アレン(元ミズーリ大学教授1921-91)によれば(注1)、シュンペーター家の祖は、13世紀に神聖ローマ帝国(962-1806)が初めてハプスブルク家によって君主の座を占められた時期までさかのぼれる。