ケインズ経済学を実践したアメリカの「恐慌対策」やいかに?

 この未曽有の大恐慌に対し、時のアメリカ大統領ハーバート・フーヴァーは、自己の信じる「自由放任主義」を貫いた。

 でも、バブルが崩壊したのに政府が無策というのは、ありえない。確かに経済は「好況→後退→不況→回復」の4局面の繰り返しだから、普通の不況ならば放っておけば“回復”する。ただし、それはあくまで“実体経済で起こる普通の不況”の話であって、バブル崩壊ではこうはいかない。

 バブル崩壊は、人間の欲望でパンパンに膨れ上がった巨大なマネーの風船玉が、バチーンと弾ける現象だから、その後をチマチマとモノづくりで埋めようったって、そんなのスケールが違いすぎて無理に決まっている。隕石落下でできたクレーターを、トンカチと釘と板で何とかしようとするようなもんだ。

 結局、フーヴァーの無策は対応の遅れにつながり、恐慌は世界に波及し、ドイツとオーストリアは賠償金の支払いに苦しんだ。

 そこで遅ればせながら、1930年には「スムート・ホーリー法」に基づく保護関税政策で自国産業を守る政策を採りつつ、1931年には「フーヴァー・モラトリアム」でドイツとオーストリアの債務支払いを猶予したが、対応が後手後手で、さしたる効果は得られなかった。

 その後1933年、アメリカ大統領はフーヴァーからフランクリン・ルーズベルトになった。フランクリンはセオドアの甥だ。彼は大統領に就任すると、これまでの自由放任主義とは真逆の政策「ニューディール政策」を実施した。

 ニューディール政策とは、ケインズ経済学の「有効需要の原理」を具体化したもので、不況で有効需要(=お金を使う国民)が不足すると、政府が供給してやるという政策、つまりは“お金のバラマキ”だ。

前回見たように、古典派経済学などに代表される自由放任経済は、政府は経済活動にはノータッチだった。好況だろうが不況だろうが、ただただ政府は、自由経済を守るためのガードマンにすぎず、軍隊と警察さえあればよしの「夜警国家」が基本だった。

 しかし、ケインズは発想を逆転させ、不況時には政府が積極的に役割を担って国民生活を助けていく「大きな政府」を提唱した。そして、その理論の中核をなす考え方が「有効需要の原理」だ。

 有効需要とは、単に欲しがるだけじゃなく、「それをほしいから“買う”」にまでつながる需要だ。つまり有効需要は、「お金を使う国民」と言い換えてもいい。そう考えると、ケインズ経済学に出てくる「不況時に有効需要が不足すると、政府が創出する」という考えは、「不況時に金を使う国民が減れば、政府が金をバラまいて、それをつくり出してやる」という意味になる。

 そして、その金をバラまくための手段が、公共事業や社会保障だ。そう、結局ケインズ経済学とは、不況時に政府が公共事業や社会保障でお金をバラまくという、今日的にはとてもありがちな経済政策のことなんだ。

 でもこれ、実はなかなか浮かばない発想だぞ。だって不況になれば、普通誰でも「節約しないと」と思う。個人も国家も同じだ。でもケインズは、「不況時こそ国民のために金を使え」だ。

 そして、政府が金を使う国民(有効需要)をつくれば消費が伸び、消費が伸びれば企業の生産が活性化する。そして企業が元気になれば、世の中から非自発的失業は消え、完全雇用が実現する……。

 つまり「世の中、需要が供給をつくり出して(=買い手を増やせばモノはつくられて)景気は良くなるんだから、まずその最初の需要創出のために、政府が率先して金をバラまけ」ってことだ。

 ルーズベルトはこれを実施するために、まずテネシー川流域開発公社(TVA)をつくり、大々的な公共事業を実施した。そしてその後も、農業調整法(AAA)、全国産業復興法(NIRA)、社会保障法、全国労働関係法(ワグナー法)と、これでもかとばかりに「大きな政府」で国民のために金をバラまいた。

 結論から言うと、このニューディール政策は、政府がバラマキをやめる“見切り”が早すぎ、政策後、再び景気は停滞している。本格的な景気回復は、第二次大戦による軍需景気まで待たなきゃならなかったが、もっと思い切りよくバラマキを続けていれば、おそらく効果は出たと思われる。不況のときに金をバラまくなんて、かなり勇気のいる政策だけど、このニューディール政策がその後の不況対策に与えた影響は大きい。