脳外科医、経営者。1953年、神奈川県生まれ。医療法人社団KNI(Kitahara Neurosurgical Institute)理事長。東京大学医学部を卒業後、同大学病院脳神経外科にて研修。1995年、東京都八王子市に北原脳神経外科病院(現・北原国際病院)を開設。救急・手術から在宅・リハビリテーションまで一貫した医療を提供すべく、現在は医療法人社団KNIとして八王子市内に4施設、宮城県東松島市に1施設を経営している。開設当初より、「世のため人のため より良い医療をより安く」「日本の医療を輸出産業に育てる」の2つを経営理念に掲げ、より多くの人の“幸せ”のため、「医療を変える」数々の斬新な取り組みに挑戦しつづけている。特にカンボジア、ラオス等の海外において「総合生活産業としての医療」を輸出するビジネス的な試みは、大きな注目を集めている。著書に『あなたの仕事は「誰を」幸せにするか?』(ダイヤモンド社)、『「病院」がトヨタを超える日』『「病院」が東北を救う日』(以上、講談社+α新書)。著者の活動情報はこちらから。
北原 今の日本の医療システムは、第二次世界大戦の後、貧しい状態の日本に医療を普及させるためにGHQが中心になって考え出されたものです。彼らの国には保険制度がないので、一から作り上げた。はじめの段階ではかなりまともな制度だったと思います。私は、戦後日本が復興した理由は二つしかないと考えています。団塊の世代が頑張ったからではなく、一つ目はアメリカが日本の共産化を恐れて多額の投資を行ったこと。これにより日本の工業化が進み、農村から都市部に人口移動が起こりました。そして富が分散し、一億総中流化が実現したんです。そして、二つ目の理由は、日本には国民皆保険があったことです。
ちきりん 国民皆保険はそこまで重要なことだったんですね?
北原 国民皆保険がないとなにが起こるかというと、カンボジアなんかでは閣僚が病気になればヘリコプターでシンガポールまで運ばれるのに、一般の国民は見捨てられてしまう。そうした状態のなかでは、「一つの国の国民である」という認識は育たないのですよね。そういう意味で、日本国民が結集して戦後の復興を成し遂げた裏には、国民皆保険の存在が大きい。この段階では国民皆保険は合理的なシステムでした。しかし、問題は「人口構成がピラミッド型であること」「経済が右肩上がりであること」「病気になる人が少ないこと」を前提に作られたシステムだったということです。これは発展途上国になら当てはまるのですが、現在の日本の状況にはまったくそぐわないものになっている。
政治では日本は変えられない?
若者が国づくりに参加できない日本
ちきりん システムが存続するための前提が崩壊してしまっているということですね。
北原 そうです。日本の人口は日露戦争の頃には4780万人しかいませんでした。しかし、たった100年で1億3000万近い人口に膨れ上がりました。これはかなり例外的なことなのです。そして、今は人口が減り、元に戻る過程を辿っています。医療は規制でがんじがらめということもありますが、そもそもそれ以前に前提条件が崩壊しているシステムを、そのまま維持しようとしていること自体に一番大きな問題があるように思っています。これを変えなければいけません。人口の問題はどうしようもない部分があります。システムがよかろうが悪かろうが、好きだろうが嫌いだろうが、結局は崩壊せざるを得ない。