遺伝子は変化する
――「生まれか育ちか」に変わる第3の人間観

――ご存じのように、我々は「生まれか育ちか」「遺伝か環境か」(nature vs nurture)論争を楽しんできました。最後は遺伝が勝つと思っている人も多いです。つまり、多くの人が、遺伝のパワーが強いので、運命や才能を変えることはできないと思っています。数学や運動能力は特に遺伝すると考えられているので、あきらめている人もいます。そういう面をどう思いますか。

 今回執筆した『双子の遺伝子』が、そう考えている人の考え方を変えてほしいと思います。この10年間、遺伝子の優位性が強調されすぎました。どれほど遺伝子が同じでも、細胞は違う行動をとるのです。まったく同じオーケストラでも、作曲家が異なるとかなでる曲は異なります。作曲家にあたるのがエピジェネティクスです。

 一卵性双生児をみて、2人とも宇宙飛行士になるケースもありますが、全体をみると異なる人生の道を行くほうが多い。結婚相手も似ていない。1人は子どもができて、もう1人はできない。遺伝子で運命が決まるというのは、間違いなんです。我々は柔軟性を持つ生き物であるようにできているのです。

柔軟性があるからこそ、人間はロボットのようにプログラムされていない。だからずっと絶滅しないで、生存できたのです。我々人間には新しい環境、ライフスタイル、人生の出来事に順応できる能力があります。人間が進化で獲得したことの一部が我々にこういう変動性を与えてくれたと思いますが、このことを認識し、自分たちの遺伝子を怖がるよりもむしろ進んで受け入れたほうがいい。我々の遺伝子は外部の影響に対して弱く、影響を受けやすいからです。

確かに、ある人は文学的才能が別の人よりもあり、また別の人は数学的能力が他の人よりもあるかもしれませんが、こうした能力は訓練と動機に左右されることが多いのです。自分がその両方に秀でたいと強く思い訓練しなければ、自分が思い描く人間にはなれません。

 つまり、我々人間には幅の広いカテゴリーがあって、そのカテゴリーの中で自分自身を向上させるべく訓練することで、変化できる範囲が大きい、ということです。自分の遺伝子スイッチをオンにすることで体が順応するように奨励することで向上することができます。今、私は遺伝子が自分の運命ではないと人に伝えることはとてもいいことだと考えています。遺伝子検査をして家系を知ったり、他の人よりもどういう病気にかかりやすいか知ったりしてもいいですが、それを元にして自分を決めつけないでほしい。遺伝子にはスイッチがあって、オンにしたりオフにしたりすることもできるのだから。

後半では、昨今急速にビジネス化されてきた「遺伝子検査」に意味があるのかどうか、そして病や才能の遺伝子は、「遺伝子スイッチ」によって変えられるのか、聞いていく(2014年12月15日公開予定)。