【ルール6】
仕事の記録を残し、
情報を会社全体で共有する

 かつての石坂産業の経営は、父の経験と勘にすべて依存していました。父は職人の感覚と感性、そして長年の経験で、コンピュータのように瞬時に物事を判断し、決定していきました。

 私は、「父の五感経営はすばらしいけれど、それができるのは父だけ。これでは永続企業になれない」と思っていました。父の経験と勘による判断を全員ができるようにするには、仕事の記録を残し、情報を会社全体で共有する必要がありました。

 そこで1億円を投資してコンピュータシステムを導入し、プラント内で発生したトラブルなどをすべて記録するようにしました。データは考える材料になります。

 データを蓄積したことは、社員が大きく変わるきっかけになりました。
 事故件数やトラブルの集計時間を突きつけられ、

「自分たちはがんばっているって言っているけど、1日5分のトラブルを何回起こしているの? 1日に40分も生産を止めていてプロと言えるの?」

 と言うと、社員たちはハッと気づき、徐々に自発的に改善に取り組むようになりました。

【ルール7】
鎖国していた会社に出島をつくる

 職人気質の父は、「一生懸命に仕事をしていれば、みんなが見てくれる」と言いますが、情報化が進んだいまの時代、がんばっているだけでは評価してもらえません。自分たちの仕事や取り組みを発信することが必要です。

「石坂産業は鎖国していたのだ」と思ってもらえばいいでしょう。
 石坂産業は以前からよいものをたくさん持っていました。それは父がつくり出した技術の結晶、経験にもとづくノウハウ。他の誰も持っていないすばらしいものです。

 でも、鎖国状態にあったため、誰にも知られず、評価もされませんでした。
 そして鎖国の中に暮らす社員自身も、その技術やノウハウがどれほど価値あるものか、気づいていませんでした。

 そこで私は出島をつくりました。父の技術の結晶のすばらしさに気づき、そのすばらしさを外の人たちにも伝えるべきだと思ったのです。

 すると、周囲からいろいろな評価を得られるようになり、少しずつ石坂産業の存在価値が伝わり始めました。

 その結果、鎖国の中にいた社員たちが、自分たちの会社のすばらしさに気づき始めたのです。
「オレたちの会社ってすごいじゃん」と思うようになり、自分の仕事にプライドを持つことができた
のです。
(第12回へつづく)

<著者プロフィール>
埼玉県入間郡三芳町にある産業廃棄物処理会社・石坂産業株式会社代表取締役社長。99年、所沢市周辺の農作物がダイオキシンで汚染されているとの報道を機に、言われなき自社批判の矢面に立たされたことに憤慨。「私が会社を変える!」と父に直談判し、2002年、2代目社長に就任。荒廃した現場で社員教育を次々実行。それにより社員の4割が去り、平均年齢が55歳から35歳になっても断固やり抜く。結果、会社存続が危ぶまれる絶体絶命の状況から年商41億円に躍進。2012年、「脱・産廃屋」を目指し、ホタルや絶滅危惧種のニホンミツバチが飛び交う里山保全活動に取り組んだ結果、日本生態系協会のJHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得(日本では2社のみ)。
2013年、経済産業省「おもてなし経営企業選」に選抜。同年、創業者の父から代表権を譲り受け、代表取締役社長に就任。同年12月、首相官邸からも招待。2014年、財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。トヨタ自動車、全日本空輸、日本経営合理化協会、各種中小企業、大臣、知事、大学教授、タレント、ベストセラー作家、小学生、中南米・カリブ10ヵ国大使まで、日本全国だけでなく世界中からも見学者があとをたたない。『心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)にも出演。「所沢のジャンヌ・ダルク」という異名も。本書が初の著書。