国防予算の半分が
人件費に充てられるフランスの謎
それだけではない。社会民主主義では軍隊も福祉国家のようだ。アメリカ国防総省の予算で人件費(給与、医療保険、年金)が占める割合は三分の一程度だが、フランスは国防予算の五〇%が人件費に当てられている。別の言い方をすると、フランスの国防費五ユーロ当たり一ユーロが年金受給者に支払われている。
「統計的にはフランスには二三万人の軍人がいる」と、ウォールストリート・ジャーナル紙は二〇一三年に指摘している。「だが六ヵ月前の事前通知をすれば配置できる兵士は三万人しかいない」
カナヅチを持たない国には、どんな問題もクギには見えない。ヨーロッパは外交政策に関して、一貫して「ソフトパワー」を好んできた。それは純粋にソフトパワーを信じているからでもあるが、ソフトパワーに代わる政治的選択肢がないからでもある。
ヨーロッパの国々は、最近軍事力を行使した数少ない機会(二〇一一年のNATOによるリビアへの軍事介入と、二〇一三年のフランスによるマリ北部紛争介入)に、弾薬がすぐに底を突いてしまったことや、補給や諜報といったサポートが不十分であることに気がついた。それでも軍事費は増えなかった。ロシアのウクライナ侵攻でさえ、ヨーロッパの軍事費削減の歯止めにはならなかった。
「政府高官は危険に気がついているが」と、ワシントン・ポスト紙は二〇一四年三月に報じている。「政情が安定していた時代に採択された軍事費削減計画を撤回することにしり込みしている」。
自宅を修復する必要があるからといって、近所が雑草だらけになっても困らないとは限らない。一九二〇年代のイギリスとフランスは、依然としてかなりの軍事大国と思われていたし、世界秩序の維持に少なくとも表向きは関心を抱いていた。
いまパックス・アメリカーナがなくなれば、パックス・ヨーロッパもパックス・国連もありえず、善意の平和維持の担い手は存在しなくなる。可能性があるのはパックス・中国、パックス・ロシア、パックス・イランだけだ。それは魅力的な世界秩序とはとても思えないし、アメリカが国内の道路修理や財政赤字削減に集中できる環境ではなさそうだ。