成長危機に喘ぐ
「ユーロ」が解体する日
ヨーロッパの問題は成長危機だった。それなのに支払い能力のない国への流動性供給や、すでに重い税負担に苦しむ企業や個人への増税や、まともに執行されないヨーロッパ全体の財政「連携」メカニズムなど、間違った治療法の実行に長い歳月が浪費されてきた。
ヨーロッパに必要なのは新しいビジネス(と雇用)の創出を後押しする仕組みと、労働と投資を促す税制だ。だが、こうした思い切った政策はわずかな支持しか得られず、組合や知識人、さらには雇用保護や補助金、給付金、規制といった既存の枠組みの恩恵を受けている人々から猛烈なイデオロギー的反発を受けた。
「ヨーロッパは間違った進化モデルを歩んできたようだ」と、あるドイツの政治評論家は指摘した。「現在の統合論者の考え方は、突然隕石でも降ってこない限り変わらないようだ。ヨーロッパは成長しないし、学ばないし、考えを曲げないし、(環境の変化に)適応しない。ただ停滞と危機の間を行ったりきたりするだけだ」
だが、その「隕石」が降ってくるまで長く待つ必要はなかった。ヨーロッパの金庫番で経済のエンジンであるはずのドイツの成長が鈍化し始めたのだ。二〇一七年第2四半期にマイナス局面に入ると、状況はどんどん悪化していった。そして二〇一八年九月、総資産二五〇億ユーロの州立銀行の一つが破綻した。
ドイツは長年、ユーロ圏経済のエンジンの役割を果たしてきた。だがいまは違う。自国経済の不振で、ドイツはヨーロッパの金庫番という重荷を背負う気になれなかった。ヨーロッパの「結束」という言葉が急に安っぽく感じられるようになった。これからはどの国も自分で自分の面倒を見ろ、だ。
彼らにとって、ヨーロッパは政治的かたまりでもなければ共通文明でもない。ビスマルクがかつて言ったように、単なる「地理的表現」にすぎなかった。