石坂 産廃業も「ゴミ屋」「捨て場」と呼ばれて、社会の役に立っている産業だと理解されていません。多くの人が廃棄物はたくさん出しますが、どう処理されるかを知らない。それなのに、産廃業は「底辺の人間がする仕事」だと差別的な扱いを受けることも多いんです。
西條 最初に石坂さんの話を伺ったとき、何となくお気持ちがわかるような気がしたんです。というのも、うちの実家は仙台市で唯一の剥製屋なんです。僕はこれまで自分の兄妹以外で剥製屋の子どもに会ったことがない(笑)。それほど珍しい職種です。
小学校の頃、新聞の投書欄に小学生の高学年だったか中学生ぐらいの子が書いた「猟はかわいそうだからやめるべき」という意見が載っているのをみたことがあります。剥製業は当時は半分以上ハンターがとってきた鳥獣の加工で成り立っていました。僕も半分はそうだなあと思ったのだけど、違和感があったのは、その子が自分も同じであることに気づかずに「自分は真っ白の立場から正しいことを言っている」という前提に立っていた点です。
多くの人は「食べるための殺生と楽しみのために殺すのは違う」というわけですが、僕らが美味しい牛肉やお寿司、野菜を食べたりするのは「食べる楽しみのため」に他ならないわけです。もちろん当時はそんな言葉知らなかったのですが、そういうことに無自覚に「嗜好」が違うマイノリティを断罪するのはマジョリティの「欺瞞」だなあと感じたことがありました。
ましてや、産廃業の場合では、自分たちの出したゴミを片づけてくれていて、それがなければ町中がゴミであふれて大変なことになるのに、片づけている人を蔑む。これは完全な欺瞞だし、自分だったら悔しいと思うだろうなと。
石坂産業=“地表資源循環業”!?
白木 このビジネスを立ち上げたとき、「採掘された鉱山のわかる原石はどこに売っているんだろう」と思いました。東京にも石の問屋さんが多くあるので、一軒、一軒聞いていったのですが、どの店も殆どの石の採掘地や入手ルートはわかりませんでした。
それが常識としてまかり通っている業界って、何かがおかしいと思ったのです。業界内では、原石を鉱山まで見に行こうなんて思っている人はほとんどいませんでした。
石坂 そうなんですか。
白木 それで何とか鉱山まで行ける方法を自分で探して、一つひとつ取引につなげて、現在、世界約10ヵ国から原石や金などの素材を買っています。やっぱり業界で常識だと思われていることを覆して、価値を転換しないといけないと思うんです。
石坂 裏に何があるかを知らないで、表面的なものだけを求めてお金を出す世の中になっていますが、生まれてくるすべてのものに対する価値を訴求していくことが、これから貴重になっていくと思う。先日、ある人が「石坂産業の仕事は“地表資源循環業”になる」と言っていました。
西條 地表にあるものを、もう一度資源化していくビジネス。
石坂 現在は、有限な資源を地球から掘り出してきているわけですが、そうしなくても、自分たちがもっているもちものだけで、循環できる十分な資源量をもち合わせている、と。だからそれをどういうふうにリサイクルしていくかがこれから課題なります。人間の傲慢さみたいなところも、いま見直すタイミングにこれからなるかもしれないと思うのです。
西條 地表資源循環業が成り立てば、エネルギー問題や多くの環境問題が根本から解決する可能性が出てくるわけですね。
「違和感」を大切にする
西條 どの業界でもそうですけど、違和感って大切ですよね。
たとえば、仕事を始めたばかりのころに「あれ? ヘンだな」と思うことがある。けれど、先輩や同僚に「こんなもんだよ」と言われ、「慣れるしかないのか……」「仕方ないか……」と思っていると、違和感を覚えなくなり、しばらく経つと当たり前になってしまう。端から見るとおかしなことが業界ではまかり通ってしまう。社会の理不尽さの根源って、そういうところから生まれているのかもしれない。
石坂 たしかにそうですね。
西條 お二人がされていることは、事後的にみれば「ソーシャルチェンジ」といわれるものになるわけですが、もしかすると、ソーシャルビジネスをやる人の出発点は「ソーシャルシフトを起こしてやる!」とかではなくて、素朴な違和感とか、やっぱりおかしいでしょ、というのを大切にしていて、理不尽を解消しようと自分のできる範囲でやろうとした人という感じがします。
(つづく)