所沢ダイオキシン騒動の犯人と決めつけられ、大バッシング受けた石坂産業の“絶体絶命”の窮地を救った石坂典子社長。だが、元々社長になる気はさらさらなかった。
一方、東日本大震災の際、日本最大級の総合支援組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた西條剛央氏。2014年、「Prix Ars Electronica」という世界で最も権威あるデジタルメディアのコンペティションで最優秀賞にあたる「ゴールデン・ニカ」を受賞した。
初登場Amazon総合1位。発売3日で重版となった初の著書『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』で話題の石坂社長と西條氏。ともに、「自分がやるしかない!」と代表になり、絶体絶命のピンチを救った2人の団塊ジュニア世代のリーダーは、いかにして組織を動かしたのか?(構成・橋本淳司)

石坂典子(いしざか・のりこ)
石坂産業株式会社代表取締役社長。「所沢ダイオキシン騒動」最中に2代目社長に。地域から嫌われ、社員の4割が去る絶体絶命の状況から「脱・産廃屋」を目指し、社員教育を断行。12年かけて、トヨタ、全日空、日本経営合理化協会、各種中小企業、大臣、知事、大学教授、タレント、ベストセラー作家、小学生、中南米・カリブ10ヵ国大使まで、日本全国だけでなく世界中からも見学者があとを絶たない企業に変える。 経済産業省「おもてなし経営企業選」選抜。2013年末、首相官邸からも招待。財団法人日本そうじ協会主催の「掃除大賞」と「文部科学大臣賞」をダブル受賞。『心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)にも出演。ホタルやニホンミツバチが飛び交う里山保全活動に取り組み、JHEP(ハビタット評価認証制度)最高ランクの「AAA」を取得(日本では2社のみ)。「所沢のジャンヌ・ダルク」という異名も。本書が初の著書。(撮影:平山順一)

「ゼロ」からのスタートvs
「マイナス1万」からのスタート

西條 石坂さんの処女作『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える!』に書かれている所沢ダイオキシン騒動のとき、実は僕も所沢市に住んでいました。専門が心理学でデータを読む訓練をしていたので、報道の元になったデータが捏造されたものだとすぐ気づきましたが、地元は大混乱に陥りました。「絶体絶命」の窮地という点で、東日本大震災後に僕らが立ち上げた「ふんばろう東日本プロジェクト」と、当時の石坂産業は似ているところがいくつかありますが、1つ大きな違いがあります。

石坂 それは何でしょうか?

西條 僕らはゼロからのスタート。行政も甚大な被害を受け、前例のないことはやってくれないところがありますから、ならば自分たちでやろうと、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げました。新しいチームをつくったほうが早いからです。でも、石坂社長の場合は「マイナス1万からのスタート」。既存の組織をマイナスからゼロへ、さらにプラスへと動かすほうが何百倍も難しい。組織は悪くなってしまうと、立て直すのは容易なことではありませんから。

石坂 『ニュースステーション』でのダイオキシン報道後、地域から「石坂反対!」の大バッシングが起きました。「産廃屋は出て行け! 子どものアトピーはおまえのせい」とPTAから会社追い出しの署名が回ってきたこともありました。“脱・産廃屋”を目指し、周囲に粉塵の出ない新型プラントをつくろうと許可申請に行ったら、役所の人に、「おたくはいま問題の産廃屋・石坂さんでしょ? 許可を出したら俺のクビまで飛んじゃう。産廃屋に出す許可はないね!」と門前払いにされたこともありました。

西條剛央(さいじょう・たけお) 早稲田大学大学院(MBA)客員准教授(専門は心理学と哲学)。1974年、宮城県仙台市生まれ。SNSと構造構成主義という独自に体系化した理論を活用し、日本最大級の支援組織「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、10万人規模のボランティアが自律的に参加できる仕組みをつくる。同組織では、物資を3000ヵ所以上の避難所や仮設住宅へ届ける「物資支援プロジェクト」、個人避難宅を中心に2万5000世帯以上に家電を支援する「家電プロジェクト」など、合計50以上の多岐にわたる支援を展開した。 その結果、日本最大の総合支援組織に発展し、3300億円以上の寄付金を集めた日本赤十字社も果たせなかった「支援者と被災者をダイレクトにつなぐ大規模支援」を実現した。 その功績が称えられ、2014年、「Prix Ars Electronica」という世界で最も権威あるデジタル・メディア・アートのコンペティション(コミュニティ部門)で最優秀賞にあたる「ゴールデン・ニカ」を日本人として初受賞。 同年、「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー2014」も受賞。 主著にベストセラーとなった『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)、『構造構成主義とは何か』(北大路書房)、『質的研究とは何か』(新曜社)など。

西條 まさに「マイナス1万」と言える状況ですね。一般的には、こういうとき、経営陣を刷新して出直します。身体も血も腐っているから、まず全部入れ替えるということをやりますよね。でも、石坂さんは先代社長の娘で、社長就任当時は30歳と若かったし、産業廃棄物処理という男社会を女性が舵取りをする。考えられる限り、一番難しい状況からの船出でしょう。自分の身に置き換えたら、一番避けたい船出です(笑)。

石坂 たしかに、社長になった当時、私は社員たちから相当嫌われていました。事務や営業をしていた社長の娘が、バッシング騒動の中、突然社長になったわけです。「あいつに現場のことがわかるのかよ」と、社員は不満や不信感を感じていたと思います。社長就任後すぐ、私の車のフロントガラスが粉々に割れたことがありました。「きっと小石が飛んできて割れたに違いない……」と、自分に言い聞かせようとしましたが、「もしかしたら社員の誰かが鉄パイプで叩いて粉々にしたのかも」という考えを打ち消すことはできませんでした。

実は“悩み解消本”! 
マンガでもない「ドラマ」になるテーマ

西條 本当にすごいと思うのは、どん底から這い上がったばかりでなく、会社を前例のない企業として再生させたことです。

石坂 ありがとうございます。

西條 そして本書に書かれている経営方法や、考え方や生き方、チームのつくり方などは参考になることばかりですが、実は「この絶体絶命の状況に比べたら自分の今の状況のほうがずいぶん楽かも」と思えてしまう“悩み解消本”になっているんですよね。今どき、マンガやドラマでもこんな逆境はないですよ(笑)。普通にテレビでドラマになりますよね。これから会社で撮影があったりして(笑)。

石坂 とんでもないです(笑)。

西條 会社を引き継いでから最初にやられたことは何ですか?