知られざる東大在学中の結婚秘話

 私たちは、1955年12月に結婚しました。

 そのとき、私は東京大学医学部3年生。新制大学が始まったばかりのころで、学生はほとんど男子、結婚している学生はほとんどいませんでした。

 クラスメイトが私たちの結婚パーティを立案し、出席者を集め、東大赤門前にある喫茶店で行いました。
 その後、私たちに千葉県館山の旅館に泊まれるよう手配された鉄道切符をプレゼントして追い出し、あとは出席者で祝杯をあげてくれました。私の両親も招待されていて、余分にかかった費用を出したそうです。

 館山の旅館では、詰襟(つめえり)の学生服の男と小さい女が突如現れたので、「もしかして心中するのでは?」と警戒したそうです(海水浴場のそばの旅館で、泊り客はいなかった)。

 結婚の日取りは、私が大学を卒業するころに、第1子を出産するためでした。
 そして、家内は勉強を始めましたが、最初に「読む」のではなく「見」始めたのが「産科学」の教科書でした。

 図が多いので、読めなくても見ればだいたいはわかります。その次が「小児科学」でした。医学書は高価なので、貧乏学生の私には買えません。だから家内の収入で買ってもらっていました。
「自分で高い金を払っているのだから、読まなきゃソン」と思っていたそうです。

 長男は、東大医学部の発祥の地にある分院で生まれました。『赤ちゃん教育』に書かれてあることを実践されながら育っていきました。
 家内は、医学書から赤ちゃんには「原始反射」があることを知りました。

 そして、それが何かを私が解説しました。
 当時の脳研究は、脊髄などの反射などの研究が主で、大脳や小脳の認知機能の研究が始まりかけたころ。私も脊髄や脳幹の反射の論文を5編ほど書いていますから、原始反射についての家内の理解は、専門家並になったのです。