【その2】
正しい文章をインプットするなら……
言葉に対する意識を高めるといっても、そもそも頭の中に正しい言葉や論理が入っていなければ、言葉や筋道がいい加減でもそれに気づけない。
文章が論理的かどうかを判断するためには、まず自分の中に論理的な文章をインプットする必要がある。
そのためにおすすめの方法が、論理的な文章を「書き写す」ことである。
とはいえ、どんな文章がいいかということになるとなかなか難しい。
たとえば、「朝日新聞」の「天声人語」を書き写すノートが発売されているようだが、あれはそもそも論理的であることを目指した文章とは言えない。
「国語」の教科書にも論理的と言えない文章がけっこう入っているので注意が必要だ。
教科書を写すのであれば、因果関係や事実を羅列している「社会」の教科書から、興味がある分野を選ぶといいだろう。
僕が実際にやったのは「刑法」の文章である。法律の文章というのは、ある意味では論理のかたまりである。
もちろん、法律によって言葉(境界線)の解像度には差があって、たとえば日本国憲法ではさまざまな解釈を許すような、かなり緩やかな表現が多用されている。
一方、「あなたは死刑だ。なぜならば……」という具合に論理だけで人を殺せてしまう刑法の言葉には、極度の論理性が求められている。
法学部の学生だったころには、僕もずいぶんと法文を書き写したことで、かなり言葉への意識を高められた経験がある。