ある夫は、家のあちこちに靴下を脱ぎ捨てたままにするクセがあった。
たまりかねた妻が本人に言うと、「それがどうした。たいした問題じゃないだろ」と逆ギレされた。
妻は負けずに「私にあなたの後始末をしろってこと?」と言い返した。
夫はそれ以来、靴下を洗濯カゴに入れるようになったが、嫌々やっているようで、ギクシャクした関係が続いたという。
これは一見、「靴下を拾うのは誰か」について言い争っているように見えるが、根本的な問題はそこではない。
コミュ力と論理思考だけでは
夫婦関係はうまくいかない
「誰が何をやるか」の問題を考えることは、権利と責任に関して共通の価値観を探る旅の出発点にすぎない。私たちが暮らしている場所の責任者は誰か。どちらがこの家の実質的な持ち主か。誰が家事を担当するか。家事は重要で価値あるものか、そうでないのか。誰が誰の後始末をすべきなのか。
相手のために食事の用意や洗濯をするのは、果たして責任からか、愛情表現か、つけこまれているのか。稼ぎ手はどっちで、それを理由に家事で何か免除されるべきなのかどうか。
答えづらいものばかりだが、こうした質問に好奇心と探究心をもって向き合うことが、靴下をどちらが拾うかをめぐって言い争うより、はるかに生産的だ。
傷口が広がらないうちに、ささいなことから話し合ったほうがいい。コミュニケーション能力がいくらあっても、ささいなことが予想以上に相手の感情面に影響していることに気づけない場合がある。
家庭は元来、「大事にされる」とはどういうことかを最初に学ぶ場だ。家事をどう分担するか、あなたから主体的に提案することで、相手を大切に思う気持ちを伝えることだってできるはずだ。
(次回12月4日(金)は、「ムダをゼロにする時間術」を紹介します。)