物語の登場人物は、全員作者自身?
川上 人間の外にある論理と自分の行動原理を一致させていると、そこに自分の実体はなくなってしまう。自分の意志で行動を決めるということが、真に人間的な生き方であり、それはかならず合理性を失うんですよね。だからこそ、僕らはもっと非合理な行動を受け入れなくてはいけないんです。合理的じゃないことに対して、怒っちゃダメ。そうしないと、人間なんて要らない社会になっちゃいます。
岩崎 だから僕は、逆にネットで合理性、論理性を声高に叫ぶ人にイライラしちゃうんですよね。だって、合理性、論理性を突き止めていっても、その先に幸せは待っていないですからね。広い目で見ると、それこそ非合理的なんです。それで、つい突っかかっていってしまうんですが、まわりからはそんなところでケンカする必要ないよ、ってよく言われていて。昔は、こういう自分をよくないと思っていたんですが、ただ、今はあまり気にならなくなりました。でも、これは、その意味では非合理的な行動だから、いいことなんでしょうか……?(笑)
川上 そうです(笑)。僕も、ネットでよくケンカするんですけど、その相手を選ぶ時の基準のひとつが、「その人に感情移入できるかどうか」なんですよ。自然にそうしていたんですけどね。例えば、ネットで間違ったことを言っている政治家、立派な経営者、学者とかには、なにも言おうと思いません。自分とは関係ないから。でも、ネトウヨなどのネットで騒いでいるダメな人に対しては、なにかひとこと言ってやりたくなる。それは、自分がそっち側の人間だと思っているからです。
岩崎 そっち側の人間とは?
川上 似たタイプの人間だ、ということです。考え方は違うんですけどね。岩崎さんもそうじゃないですか? 腹が立つ人というのは、岩崎さんが正してやりたいと思う人なわけですよね。
岩崎 まさにそうです。ぼくが合理性や論理性を声高に叫ぶ人につい突っかかっていってしまうのは、ぼく自身も、昔は合理性や論理性を声高に叫びすぎていて、それで人生がうまくいってなかったからです。その意味では、かつての自分と似ているからこそ、ついなにかひとこと言ってやりたくなっている。僕も本来的にはダメな人間なんですよね(笑)。また、そう考えるとこの小説にも、やっぱりダメな人間ばかりが出てくるんですよ。
川上 登場人物が、みんな岩崎さんに似ていますよね。主人公の夢ちゃんは完全に岩崎さんだな、と思いながら読んでいたら、『もしドラ』の著者という登場人物が出てきて、「あれ、この物語、岩崎さんしか登場しないのでは?」と(笑)。
岩崎 僕自身は、主人公の親友の真実が、自分と一緒だなと思いながら書いていました。彼女が怒るシーンがあるんですけど、その怒るポイントが、ぼくと一緒なんですよね。
川上 野球部の顧問の先生が、監督就任を断るシーンも岩崎さんっぽいですよね。「え、そこで断るの? しかもそんな理由つけて?」と。ああ、これ岩崎さん言いそう、と思いました(笑)。
岩崎 言われてみればそうですね(笑)。物語って、登場人物の誰かが作者だと言われますが、本当は全部のキャラクターに自分が反映されているものなのかもしれません。
(後編は12月18日公開予定です)