【津田】僕のイメージとしては、義務教育の小学校のときは有無を言わさず、徹底して詰め込みをやる。そのあとは、同じ詰め込みでもマニュアル的に詰め込むのではなく、「なんで?(成り立ち)」を含めて詰め込む。
【斉藤】日本の初等教育にはいいところもたくさんあって、たとえば体育館とかプールが義務教育の学校でこれだけ充実している国はあまりない。音楽室に基礎的な楽器がひと通り備わっているのも、他の先進国を見てもあまりない。誰でもある程度音符が読める国とか、みんな掃除ができる国は日本くらいかもしれません。
【津田】外国の学校は、掃除などは清掃業者さんに依頼していますよね。
【斉藤】窓の拭き方がわからない、雑巾の絞り方がわからない子が、海外に行くといっぱいいるわけです。そういったライフスキルを教える強さというのが日本の教育にはあるんです。あと、算数の教材の提示の仕方もかなり工夫されているとか、戦前から日本の算数教育はすごかったという話はいっぱいあります。
【津田】たしかに海外に行ってその辺の店で買い物したら、店のおばちゃんがものすごく計算に弱かったりしますね。
【斉藤】そう。そういう強さは残しながら、「なぜ」と問いかけるような力を伸ばしていく教育が、これからは必要です。
10歳くらいまでだと子どもたちは授業で手を挙げるんですよ。思春期になって独特のシャイさが芽生え始めるとみんな手を挙げなくなる。
【津田】そのシャイさって、答えが合ってないと恥ずかしいとか……。
【斉藤】恥ずかしいとか、「点取り虫なんかゴメンだ、おれは社会を斜めに見ているぞ」的な批判的精神の芽生えもあると思いますね。
初等教育にShow & Tellの文化をプラスする
【津田】アメリカ人だと恥ずかしがらずに、思ったことを好き勝手言うやつがいるじゃないですか?
【斉藤】います(笑)。
【津田】僕がびっくりしたのは、昔、絵画を見に行ったときです。わけのわからない抽象画を見たとき、日本人だったら「何が描いてあるかわからないよね」って言うじゃないですか。
【斉藤】「専門家がこの絵をどう見るのか自分は知らない」って意識しちゃうのが日本人なんですよ。
【津田】そう、正解があるはずだから門外漢は発言しちゃダメだって思うんですよね。ところが、一緒に行ったアメリカ人が「こんな絵は全然ダメだ」と言い出したんですよ。知りもしないのに、好き勝手に(笑)。
【斉藤】それを言えちゃうのは、「Show and Tell」の文化があるからですよ。「自分はこう思う、ほかの人がどう思おうと、自分にとってはそれが正解だと思うんだ」という考え方です。
僕の娘は10歳までアメリカの現地校に通っていたんですが、3歳くらいからみんなの前で自分のおもちゃを見せてそれについて説明していました。そのおもちゃがどうして特別なのか、子どもながらにみんなの前で熱く語るわけです。
これが長ずるに従ってディベートなどに発展していくわけです。日本の学校に通うと、都会で中学受験をした子とか、田舎の学校で部活漬けの子とか、自分を表現する自信や覚悟が徹底的に潰されてしまっている印象がありますね。
(次回に続く)
東大とイェール大の入試の違いから見えてくることとは?