【斉藤】東京大学が今年初めて「推薦入試」をやりました。これまでの高等教育の入口から出口までに対する反省に立って、東大が自ら率先して入試改革の姿勢を示したわけなんです。この事実を保護者も生徒も教育関係者も、真剣に考えたほうがいいと思います。
【津田】僕が東大を卒業した当時は、まだ古い価値観が残っていました。東大法学部をトップで出て、大蔵省(現・財務省)にトップで入れば、30年後にはほぼ間違いなく事務次官です。
【斉藤】要するに、日本が「発展途上国」だったということですよね。今ある知識に追いつけばそれで良かった、ということですけど。
【津田】そうだと思います。その頃は「勉強の力」と「仕事の力」がほぼイコールだったわけですよね。
【斉藤】たとえば、イェールでは、自分がどうやってイェールに入ったかをひけらかすのはカッコ悪いことだというような風潮があります。
ですが、僕がイェールの大学院生だった頃、日本人留学生の何人かに「きみ、東大出身?」なんて聞いてくる人がいました。「センター試験で合計点が○○点だった」などと自慢げに言う人までいて、ちょっとびっくりしました。はるか昔のテストの得点を比べて何がしたいのか、真意がわかりませんでした。
自分の人生のピークが大学入試だと考えているとしたら、それってちょっとつらいですし、入試の点数で残りの人生が安泰だと考えているなら甘すぎます。
結局、「人生のいろいろな地点で下剋上が可能な社会」のほうが、真剣にしかも持続的にものを考えるし、学びも楽しいものになると思います。
日本の初等教育の強さをどう活かすか
【津田】たとえば、小学生の子に「きみ、数学やる?」って聞いても絶対「やらない」と答えると思います。でもそこをやっぱり無理矢理やらせなきゃいけないところってありますよね。
【斉藤】大学生も同じです。理系の、たとえば工学部に入った学生に「美術史をやれ」と言ってもやりたがらないですよね。だけど、やりたくなくてもやらなきゃならないこと、やったほうがいいこともあるわけです。実際、デザインとエンジニアリング、経営の接点は今では皆が注目するホットな領域だったりします。
【津田】教育は等値交換モデルではないので、その時点で必要なことかどうかはわからず、あとで価値がわかることもいっぱいある。だからある程度は、つらくても無理矢理やらせることは必要なんですね。
【斉藤】体育や部活にもそういうところはあるかもしれません。そのときはやりたくないけれど、あとにならないと価値がわからないことが、教育にはいっぱいあります。それが思わぬ形で新しい価値を生み出すところが、教育の面白いところだと思います。