経営者の人間性の円熟と
企業の躍進は一致する
びっくりしました。私は松下幸之助さんに心酔しており、『PHP』という小さな雑誌を、創業時から全社員に配り、「松下哲学」を勉強してきました。それだけに、「人格者で知られる、あの松下幸之助も若い頃はやんちゃだったのだな。お年を召されてから老成されたのだ」と思ったのです。松下幸之助さんの心や人間性が円熟されるにしたがって、松下電器もああいう大企業になっていった。もし、ぎらぎらと脂ぎったままであったら、松下電器も一介の中小、中堅の家電屋で終わっただろう。その頭取の話を聞いて、そう思いました。
本田さんも同様です。セミナーでお目に掛かって約二〇年後、再びお会いしました。一九八四年に、私がスウェーデンの王立科学アカデミーの会員に推薦され、会員に就任したときのことです。本田さんも同じアカデミーの会員でした。他に、ソニーの井深大さん、東大の名誉教授など、日本では全部で一〇人ぐらいの会員がおられたと思います。
本田さんとは、アカデミーに招待されたときに、たまたまご一緒になりました。お目に掛かると、それはそれはすばらしい人間性の方でした。スウェーデンのボルボやアセア(スウェーデンの重電メーカー)など、いろいろな会社を回り講演をされるなど、一週間ほどずっとご一緒させてもらいましたが、本当にすばらしい人間性をもっておられました。
本田さんは、藤沢武夫さんという副社長とコンビを組み、本田さんが技術を、藤沢さんが経理、総務関係を担当されました。一般には、このコンビが今日の本田技研をつくったといわれていますけれども、それだけではないと思います。本田さんは、確かに若いときは脂ぎってぎらぎらして「欲と二人連れ」でやってこられましたが、年を召されるにつれて分別がつき、人間のあるべき姿というものを理解され、人間性がどんどん円熟していかれた。その人間性の高まりと、二輪車から四輪車へ、軽自動車から普通乗用車へと続いていく本田技研の躍進は、一致しているのです。
こういうことを見ているだけに、私は西枝さんから教わり、私自身もかねて考えてきたことは間違いではなかったのだなと思うのです。若くしてそういうことを理解し、実践すべく努力していけば、本田さんや松下さんに負けない成長発展の道を歩めるはずだという確信をもって、この道を歩いてきたわけです。
※『稲盛和夫経営講演選集 第2巻 私心なき経営哲学』、「経営者に求められる人間性」より抜粋