「私はお金が欲しい。なぜなら…」
本田宗一郎が語ったこと

 要するに、私たちはばかじゃないかと本田さんに言われたのです。その強烈なパンチに、私はぼうっとしてしまいました。

 それから小一時間、本田さんの話を聞きました。そのとき言われたのは、仕事は「欲と二人連れ」でやるべきだということでした。私は西枝さんから、「人間としていかにあるべきか」ということが大切だ、つまり仕事の本質は欲ではないと教えられていました。しかし本田さんは、「欲と二人連れ」で働けとおっしゃるのです。

「私の会社はものすごく厳しい。私は怒ったらスパナを投げますので、うちの幹部社員はスパナで鍛えられたようなものです。私のようになりたいのであれば、そのような苦労をし、私のようにがんばれ」とさえおっしゃいました。それが本田さんのモチベーションアップの方法なのです。「私はお金が欲しい、何でお金が欲しいのかというと遊びたいからだ」ということまで社員の前で公言しておられるとのことでした。

 本田さんは、浜松の芸者を総揚げして派手に遊ぶこともあったと聞きます。若い頃、生意気な若い芸者を二階から突き落としたという逸話があるくらいです。芸者を総揚げしてどんちゃん騒ぎをするという、並の人にはできない遊びをして発散をする。そしてまた人一倍がんばって働く。そのためにはお金が要る。私と同じようになりたかったら、同じように苦労しがんばってみなさい、という話をしておられるように、自分自身をそうしてモチベーションアップされていたのです。

 たいへん男らしい考えだと思い、私は刺激を受けました。確かに西枝さんから教えてもらった、「人間としていかにあるべきか」ということをベースにした生き方もあります。しかし世間を見ていると、あまり人が良いものですから会社が大きくならない、というケースがあります。本田さんのようにえげつないほうが、会社も大きくなるのかなと、そのとき思ったのです。

 よく「謦咳(けいがい)に接する」といいますね。本で読んだり、人づてに話を聞くのではなく、じかに会って話を聞いてみるということです。今私は言葉でしゃべっていますけれども、会ってみますと、言葉だけではない、その人のかもし出す雰囲気、さらに言えば目に見えない何かの力のようなものが、伝わってくるのです。ただ単に録音、録画されたものを見聞きするのとは違った、生の人間の触れ合いがあるのです。

 そのように「謦咳に接する」ことによって、立派な人というのはどんな人なのかつかみとりたい、と思ったのが、セミナーへ行った理由でした。しかしそれ以後、そういうセミナーには行くことはなかったのです。私も若かったのでしょう。あの有名な本田さんもあの程度の人なのか、それなら自分なりにがんばっていこうと思ったからです。

 私が始めたこの盛和塾でも、私の話に感銘を受けて発奮する人もありましょう。また中には、「京セラの会長というのは大したことないじゃないか」と思う人もいるでしょう。それで良いのです。そのように皆さんが発奮され、がんばって経営されることが、経営者としての学びになるはずです。

 ですから、私がじかに皆さんとお目に掛かることによって、いろいろな形で学んでいただければ、例えば「あの稲盛さんにあのくらいの仕事ができるのなら、おれはもっと努力をし、もっと勉強をし、もっと偉くなってみたい。いや、なってみせよう!」と思ってもらえれば、私がこの会をつくった意図はかなうわけです。このように私と会うことによって、皆さんには、私を超えるようなすばらしい経営者になってほしい、というのがこの会を始めた動機です。