公共サービス低下とセットの歳出削減は可能か

 たしかに、人口は減少しているから、1人当たりの歳出金額を一定に維持できれば、総歳出を削減することは可能だろう。たとえば、子どもの数は大きく減少するから、子ども1人当たりの教育費を一定に維持できれば、教育費の総額は大きく減らせる計算になる。

 しかし、5年間で名目GDPが20%増加するという再生シナリオでは、当然のことながら民間労働者の給与も20%程度は増加するし、公務員の給与も同程度は増加する。そのなかで、公務員の総人件費を名目で一定に維持できるのだろうか。教育費の多くは教員・事務員の人件費であるから、その人数を20%程度削減する必要がある。あるいは、公共事業の単価が20%上昇すれば、事業数を20%削減する必要がある。オリンピック関連や震災復興需要の急増により、公共事業費の調達費用は想定を上回る勢いで上昇している。東京オリンピックの新国立競技場の建設計画が迷走したのも、調達費用の上昇が一因ではなかったか。

 もちろん、無駄な人件費や事業費は多く、歳出削減を徹底すれば、理論的には20%程度の削減は可能だろう。歳出を大幅に抑制することは望ましいし、その結果、社会保障費以外の歳出を名目金額で一定に抑えることができれば、それはそれで歓迎すべき事態だ。ただ、こうした歳出削減手法は国民にもそれなりの負担(=公共サービスの低下)をもたらす。実現するとなれば政治的な抵抗も強い。

 国民にそれを受け入れさせる覚悟が政治家にあるのか。政治的に既得権を持つ利益団体からの抵抗が予想されるとき、自然体の予算編成でこれが可能とは思えない。国民にこうした歳出削減の痛みを明示して、政治的に高いハードルを乗り越える努力や政治のリーダーシップが必要になる。こうした点を曖昧なままに、歳出削減目標を単に示すだけでは、楽観的なシナリオと言わざるを得ない。

 2015年11月に政府の行政改革推進会議は税金の無駄遣いを検証する「行政事業レビュー」を実施した。これは、エネルギーやスーパーコンピューター、東京湾の水質改善事業など55事業を対象として、2016年度の予算額は計13兆6000億円(要求ベース)に上るものであった。マスコミの注目もあり、レビューの議論は無駄な歳出をアピールするのに効果があったかもしれない。

 しかし、ここでの議論も事業の見直しや廃止を決定するものではなくて、あくまでも「予算編成の査定時に議論の結果を反映させたい」(河野太郎行政改革相)という参考意見にとどまっている。パフォーマンスが先行するだけの見世物で終わってしまうと、大胆な歳出削減には結びつかない。しかも、社会保障費は対象外であった。結局、2016年度予算案の概算要求額からこのレビューで削減された金額は、わずか約1000億円(対象とした経費の1%未満)にとどまった。

 社会保障費について政府は、今後5年間、毎年5000億円程度の伸びに押さえる方針である。だが、それはどのような制度改正、あるいは効率化努力で達成されるのか、具体的内容は不透明だ。

 社会保障費にも多くの無駄がある。年金の給付水準は、今の高齢世代が過去に拠出した金額よりも遙かに多い。貧しい高齢者だけでなく、裕福な高齢者にも手厚い給付を続ける余裕はない。また、老人医療費における薬漬け、検査漬け、入院の長期化などは、医療費の無駄であるばかりか、患者本人も避けたいはずである。医療制度の効率化を進めて、また、診療報酬を引き下げるなどして、医療費の伸びをできるだけ抑えることは、当然望ましい。しかし、国民に明示的な負担を求めることなく、何ら痛みを伴わない自然体で、こうした効率化は実現できない。

 総じて、削減目標の遂行そのものは望ましく、その意味で歳出抑制シナリオが実現することを期待したい。しかし、実現に向けては、国民も相当の痛み=負担が求められる。公務員の削減も社会保障サービスの抑制に直結する。こうしたコストを明示して、それを覚悟の上で削減するのであれば、もっともらしい削減目標になる。しかし、単なる希望的シナリオでは、絵に描いた餅に過ぎない。自然増収に関する甘めの想定と同じく、大本営発表と似た構図になってしまう。