ベストセラー著者である経営学者と異色の上場企業経営者による対談が進むにつれ明らかになったこと。それは、二人が一生のテーマとする「好き嫌い」と「多様化」に通底する、「個の自立」という決して簡単ではない条件でした。(構成:谷山宏典 撮影:疋田千里)
楠木教授の至福の思い出
青野 「好き嫌い」は楠木先生の一貫したテーマですが、そもそも人の好き嫌いって、どんなときに、どんなきっかけで生まれるんですか?
楠木 ちょっと話は遠回りしますが、僕はいつも「好き嫌いは、局所的な良し悪し」という言い方をしています。
青野 局所的な良し悪しとは?
楠木 好き嫌いは極めて個人的、つまり局所的な価値観です。その局所的な価値観が集まって、ある程度の普遍性を持つようになると、はじめて良し悪しと言えるものになると思っています。
たとえば、「人を殺してはいけない」は普遍的な価値観ですよね。「俺は人を殺すのが好きだから」と言ったら、完全にアウトなわけで。だから、「人を殺してはいけない」は良し悪しの領域の普遍的な話であって、好き嫌いが入る込む余地はありません。また、自由と民主主義という価値観も、戦後半世紀以上の時間をかけて普遍的な価値観になったのだと思います。
だから、価値観の内容云々ではなく、「普遍的か、局所的か」という軸で、普遍的になればなるほど「良し悪し」になり、逆に局所的になれば「好き嫌い」になると思うんですよ。
青野 なるほど。つまり、「ピーマンの入ったチャーハンが嫌い」という僕の極めて局所的な好き嫌いの価値観も、それに共感する人がどんどん増えていけば「ピーマンの入ったチャーハンはダメだ」という良し悪しの話になるのですね。
楠木 そうです。だから、最初の質問に戻れば、好き嫌いが生まれる瞬間って、ローカルな自分の感覚と普遍的な価値観との間にギャップが生まれて、それに気づいたとき、とも言えます。自分が属する組織や社会で「これは正しい」「これは間違っている」とされる規範に対して、「自分はそうは思わないけどな」と違和感を抱いたりしたとき、自分の好き嫌いを鮮明に自覚することになると思うんです。
青野 そうか、そうか。たとえば、親から「長男は家を継ぐのが常識だ」と言われたとき、「なんで継がなきゃいけないんだ!」と反発を感じることこそが、まさにその人にとっての好き嫌いの出発点なんですね。きっとその長男は、家業以上に好きな仕事があるのかもしれないし、自分の人生を親の言いなりではなく、自分の意志で選びとっていく生き方が好きなのかもしれない。その「好き」に気づくきっかけになるのが、「良し悪し」とのギャップなんですね。
楠木 僕自身にも自分の「好き」を明確に自覚した瞬間があります。
学生時代って、体育祭や文化祭などの学校行事に参加するのは「正しい」ことであり、サボるのは「悪い」ことじゃないですか。でも、僕はいつも参加せず、こっそりと抜け出しては公園で本を読んだり、お菓子を買い食いして時間をつぶして、最後の点呼のときに素知らぬ顔をして戻ることを繰り返していました。サボっていたのは、はっきりとした動機があったというよりも、みんなが体育祭や文化祭で盛り上がっている中にいると、なぜかいたたまれない気持ちになってしまうんです。つまり、僕は当時から集団で何かをやることが「嫌い」で、一人で動くことが「好き」だったんです。
今でも忘れられないのが、大学時代のサークルか何かの合宿のときのことです。そのときもみんなでいるのが嫌になって自分の車で途中で帰ってしまったのですが、帰路、深夜の海老名サービスエリアで一人でドーナツを食べながらコーヒーを飲んだときの幸福感と言ったらなかったですね。大げさではなく、それまでの人生の中で3本の指に入るぐらいの満たされた気持ちで、あまりの多幸感に体が震えました(笑)。そのとき、自分は一人が「好き」なんだなとつくづく実感しましたし、できるなら一生組織に属すことなく生きていきたいと明確に意識しました。
青野 楠木先生の「集団嫌い」「一人好き」は相当に年季が入っているのですね。
楠木 もはや性格的な歪みのレベルだと自認しています(笑)。ほかにも、自分のために人が何かをしてくれる状態もダメですね。たとえば、僕の誕生日に誰かがパーティを企画してくれることがあるのですが、そんな場に出た日には主役であるはずの僕自身がいたたまれない気持ちになって、「この会、早く終わった方がいいんじゃないのか」とさえ思ってしまいます。
サイボウズは顧客にも社員にも「自立」を求めたい
青野 『好きなようにしてください』の中でも、ご自身について「チームワークがからきしダメ」「人と仕事をするということがどうにもうまくいかない」「リーダーシップが皆無」と評されていましたね。にもかかわらず、楠木先生は競争戦略の専門家として、組織のあり方や戦略について深い見識をお持ちじゃないですか。そのギャップが、個人的にはすごく面白いなと思っているのですが。
楠木 僕の場合、仕事の対象が組織であるだけで、仕事そのものはまったく個人で完結できるので、違和感なくやっています。僕にとって組織とは、自分がその中に身をおくものではなく、あくまでも客体なんです。
青野 では、チームで働きたいという気持ちはないのですか?
楠木 ないです。僕は、自分の仕事は個人芸だと思っていて、自分一人で自由にやって、相手から評価されれば嬉しいし、そうじゃなければ「仕方がない。次は頑張ろう」とやり直す。そんな働き方が性に合っているんです。
自分一人でするよりも、みんなで力を合わせて目標を達成した方が楽しいことは、頭ではわかっています。古い話になりますが、長野で冬季五輪があったとき、個人で金メダルを獲ったスキージャンプの選手が「個人のメダルより、団体で獲った金メダルの方が嬉しい」と笑顔で語っていたのを、なぜか強烈な印象とともに覚えていますし。
でも、いざ自分のこととなると、チームで動くことのネガティブな面ばかりに目が向いてしまって、「やはり一人がいいな」となってしまう。チームワークの面白さがわかっていないだけだと自分でも認識はしているのですが、とにかくダメなんです、集団で動くことが。
青野 それこそ、まさに「好き嫌い」の話なのでしょうね。逆に僕は、一人で働ける自信がないですから。チームで働くのが好きということもありますが、一人だったら絶対にサボるだろうなと。まわりからけしかけられるぐらいの方が、自分にとっては働くうえで都合がいいんです。
楠木 ただ、僕自身はチームでは動きたくないのですが、客体としてのチームや組織には人並み以上の関心があります。
だから、御社のクラウドサービス「キントーン」も少しお手伝いさせていただいたんですが、あれは、キントーンを使うこと自体がその組織のチームワークの土台づくりにつながるというか、ユーザーに「チームってなんだろう」ということを考えさせるきっかけになっていますよね。そうした教育的な側面も備えた、よくできているサービスだと思います。
青野 ありがとうございます。実は最近になって、自分が本当にやりたいことは、今おっしゃられた、みんなに「チームについて考えてもらう」ことかもしれない思っているのです。つまり、これまでは単純に「組織のチームワークを高めたい」とソフトウェアの開発・販売を行ってきましたが、その根っこには「多くの会社でチームワークを高めるための活動をしてほしい」という欲求がそもそもあるのではないかと。
手っ取り早いのは、完成度の高いグループウェアを提供して、「このソフトウェアのフォーマットどおりにやってください」と指示をすることです。しかし、僕たちはそれはやりたくない。「ああでもない、こうでもない」と社内で喧々諤々の議論しながら、うちのソフトを使ってほしい。
僕はもしかしたら、お客さんにも「自立」を求めているのかもしれないですね。チームワークを向上させるための定型的な答えを求めて、うちの商品を使おうとするお客さんがいたら、今の僕だったら「あなたには売りたくない」「ありきたりの使い方をするのだったら、使ってくれなくていい」と思ってしまうかもしれない(笑)。
自立した考えを持ち、「自分たちらしいチームワークを構築したい」と自らの理想を語れるお客さんにこそ、使ってほしいと思っています。
楠木 青野さんはきっと、顧客に対しても多様化してほしいと思っているのでしょうね。多様化には個の存在が前提となるので、各々がしっかりと自立をして、「自分たちは○○をしたい」「○○はしたくない」と「好き嫌い」を明言できることは極めて重要だと思います。
青野 自立とは、自分で選択して、自分で責任を取る覚悟だと思っています。本の中では「質問責任」と「説明責任」という2つの言葉で表現しています。
そうした自立マインドは、うちの社員たちにも常に求めています。組織の多様性を実現するには、その組織に属する個人個人がそれぞれに強さを備え、自らの責任を果たしていかなければならないのです。
楠木 強さと言っても、「ものすごく意志が固い」とか、「どれだけでもハードワークができる」という話ではない。人として自立しているという意味での強さがないとダメですよね。本の中で青野さんは「サイボウズは社員に優しい会社と言われることもあるが、それは違う」と書いていますが、まさにおっしゃる通りだと思います。多様な働き方を認めるかわりに、社員全員に対して自立して責任を果たす強さを求めていますから。