「行動基準」が統計家を守る

――統計家には「守るべき統計倫理規定」がある、ということでしたが、それはどのようなものなのですか?

竹村 はい、「統計家の行動基準」というものが文書化され、ネット上でも公開されています。実務担当者、研究者、学生などが自らの仕事や研究の拠り所となる基準を考え、統計家の使命や守るべき価値を文書にまとめたものです。

 統計家は、データの扱いにおいて信頼されないといけません。ところが、クライアント先から「データをうまく操作してくださいよ」と言われると、個人の倫理観だけでクライアントに対抗し続けるのは難しいかもしれない。そんなとき、このような行動基準(倫理基準)があると、「私は統計家ですから、この行動基準に書かれた一線を越えられないことになっています」と言えば、拒否しやすくなります。統計家自身が守る基準というだけでなく、統計家に対する防波堤にもなっているのです。

――お二人のところにも「データをなんとか都合よく処理してくださいよ」といった誘惑が来るものなのですか?

西内 いまも話したように、データ改竄などをやると、私は二度と統計の仕事で生きていけなくなります。そういう大きなリスクがあるので、そこは非常に気をつけていますね。

竹村 それでも、「このデータ、なんとかなりませんかねぇ」と平然と言ってくる人が後を絶たないんですよ。ホントに困ります。

西内 竹村先生の言葉はオブラートに包まれていましたが、もっとあけすけに言うと、「なんとか有意差を出してくださいよ〜」ですかね。

竹村 そうですね(笑)。統計家は、そんなプレッシャーと闘わないといけません。だからこそ、「統計家として遵守すべき行動基準」をあらかじめ内外に宣言しておく必要がある。これまでは他の研究者やお医者さんのほうが偉くて、統計家はその下働きのように思われていた面があるんです。もっとひどい話になると、統計家とは政府に都合のいいことを言う御用学者だ、みたいなイメージもありますしね。

西内 それにしても、「有意差を出してください」と言う人って、どんなつもりなんでしょうか。

竹村 残念ながら、改竄を意図して、わかって言ってくる人のほうが多いのが現実です。会社としてはずいぶんお金を使ってきたのだから、有意差が出ないとなると会社にとって大きな不利益になる、「会社のための行動」と勘違いしているのです。本当に会社の利益を考えるなら、その行動は逆効果になることも考えるべきではないでしょうか。後になって「データを改竄していた」ということが発覚し、会社全体で不祥事を働いたとわかったとき、その会社の信頼度は地に堕ち、商品全体が致命的な打撃を被ります。

 統計家が本気になって調べれば、データの不自然さ、データが改竄されたかどうかはかなりわかってしまいます。目の前の小さな利益に目がくらんでいると、後々、会社の存続さえも揺るがしかねない事態を招きます。企業の目の前の利益よりも、長期的な利益、社会全体の利益を考えて行動すれば「データ改竄」に荷担することもなくなるはずです。

西内 本当にその通りですね。今日は心強いお言葉をたくさんいただき、ありがとうございました。

(記事転載元/ダイヤモンド社書籍オンライン 2014年12月5日掲載「『統計学が最強の学問である[実践編]』発刊記念対談」第4回)

【特別対談】西内 啓×東京大学・竹村彰通教授
第1回 分析ツールと統計学、数学者と統計学者の関係は
第2回 世界から遅れつつある日本の統計学
第3回 なぜ、東大、京大の入試に「統計」の問題は出ないのか?
・第4回 日本人に欠けているのは統計的な「センス」と「倫理」