大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、1970年代を逆引きし、世界のスタグフレーションがどうして引き起こされたのかを検証する。(坪井賢一)

中東政治情勢の悪化から石油価格が上昇
スタグフレーションの常態化へ

 1970年代に2度の石油危機が起きた。「中東の政治情勢の変化=衝撃」によって世界に経済的な影響が波及したものである。具体的には石油価格の上昇だが、これによって原材料価格が上がり、産業界のコスト構造が急速に変化した。

 その結果、スタグフレーション(景気停滞とインフレの同時進行)が常態となった。順に逆引きしてみよう。

 1978年、石油輸出国機構(OPEC)が原油価格を段階的に引き上げる、と発表してからじりじりと物価が上がっていたところ、イランで暴動が発生し、強権的な王制によって「近代化=欧米化路線」を進め、宗教界を弾圧していたモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(パーレビ国王)の統治が危機に陥った。

 翌1979年1月16日、政治家のバクチヤルがイラン首相に就任、パーレビ国王は国外に逃れた。2月1日に亡命先のパリからイスラム教シーア派の法学者ホメイニが帰国すると、一挙にイスラム国家樹立の気運が高まり、2月11日にバクチヤル首相は辞任、4月1日にイスラム共和国宣言が発表された。これをイラン・イスラム革命という。

 この間、混乱のうちにイランの原油生産は停止している。日本は大量の原油をイランから輸入していたため、2度目の石油危機に国中が危機感に襲われることになった。

日本は第1次石油危機の教訓からパニック回避
米英ではスタグフレーションが激化

 ホメイニ帰国(1979年2月1日)直後、「週刊ダイヤモンド」2月24日号が専門家による討論を掲載している。タイトルは「徹底討論 再襲する石油危機」出席者は、生田豊朗、中原伸之、浜渦哲雄の各氏である