そんな、えも言われぬ違和感を持て余しているところに、おもてにいたニイニとポチンがきゃっきゃきゃっきゃと転がり込んできました。
「ママ、でんぐりがえし見ててー!」
「きゃあー、やだあーニイニー!」
「ひゃー、やっぱここひろーい!なんにもなーい!あっちからこっちまでごろごろ大会しようよポチン!」
「やるやるーーー!」
狂ったように畳の上をごろごろと転がりまわっては、笑い崩れるこどもたち。広いこと。転がれること。それだけが彼らにとっての価値、他は一切関知せず。
こども独特の悶もだえるような、キャラキャラとした笑い声が部屋いっぱいに広がると、微妙な空気が一気にかき消され、まるで東京の家とひとつながりのようにリラックスした空気にさっと上書きされました。その鮮やかな変化を目にし、夫と私は茫然と顔を見合わせました。
「こどもはさあ、おばけなんだよな」
夫の言葉に、わたしは大きくうなずきました。
小さなこどもというのは普段はうるさいし、手がかかるし、圧倒的な存在感で家族の中心にいるものですが、逆にふとした瞬間、現実世界に根づく前のフワリと漂う儚はかなさを感じることがあります。
例えば夜中、こども部屋の扉がそっと開き、中から「ママ……トイレ」とぼんやり出てくるポチンなどは、おばけの国からやってきたように見えてハッとすることがあります。
そして、ああ、この子たちはまだまだ小さくて淡い存在なのだなと、切ないような不安なような気持ちになるのです。
そんな、おばけみたいなこどもたちだからこそ、この家に長く長く住んでいるご先祖様というおばけを畏れ気圧されることがない。大人だけだったらこの空気の重みに参ってしまいそうですが、こどもおばけたちはキャラキャラと笑いながら構わず空気を上書きし、当たり前のように自分たちの歴史を続けて重ねていくのです。
……そうか、わたしたちは、新しく頑張るんじゃない。この家で、この土地で、「続き」をつくればいいんだ。
そう思うと、気負ってごわごわと凝り固まっていた肩の力がすっと抜け、なんだか急にこの家と自分たち家族との一体感が増したように思えてきました。普通に、ここで続けていけばいいのです。この家は昔からここにあり、わたしたちはここで未来をつくっていく。それでいいのです。
(第14回に続く)