平日は都会で働き、週末は田舎で過ごす。東京生まれ、会社勤め、共働き、こども3人。「田舎素人」の一家が始めた「二地域居住」。都会と田舎、それぞれの良い・悪いところを入れ替えると、どんな変化が起こるだろうか?都会と田舎の往復生活をまとめたドタバタ奮闘記『週末は田舎暮らし』から、一部を抜粋して紹介する。
生まれ故郷は空気
実はわたしは、満員電車がそれほど苦痛ではありません。
中学、高校と自宅から遠い学校に通っていたせいだと思います。特に行きはラッシュアワーの山手線利用。まさに人は人にあらず。ゴミ収集車の中に圧縮されて入っていくゴミのように、ギュウギュウに押し込まれて乗り込み、痴漢などされる空間的ゆとりは皆無で、そのままパックに詰められれば、お歳暮のハムになりそうなほど車内が一体化した状態です。
当時はフレックスタイム制度の導入前ということもあり、そこはいつも「遅刻よりは、ハムになりたい」人たちの戦場でした。
それを特に辛いと思わなかったのは、なぜでしょうね。冬は他人のコートに包まれて暖かいなとか、新宿駅で電車から吐き出されると、血圧測定器を外したときのように開放されるのが清々しかったりとか、とんでもないポーズでフィックスされてしまった自分がおかしくて笑いがこらえきれず困ったこととか、環境に適応して苦しまずに生きていました。
良くも悪くも、わたしが生まれ育って馴染んできたのは、このようにゴミゴミした都市空間です。今でも執筆仕事に煮詰まったとき、気分を変えるために街に出ることがよくあります。
わざわざカフェのカウンター席に電線のすずめのように並びながらノートパソコンを広げたり、人通りの多い繁華街をぶらぶらしたり。都市を浮遊すると、心の一部分がリラックスして一部分が刺激を受け、帰ってくるとポンコツの脳みそでも多少CPUの性能が上がった気がするのです。
そう、都市はたくさんの関係を持つことができるハブというだけでなく、「関係を持たないこと」を前提に密度を楽しむ空間だと言っても過言ではありません。
一方で、週末には180度環境の異なる「顔を知らない人のいない」環境に身を置いています。まだ会ったことのない道の向かい側の商店のおばさんに地域の新住人だと知られていた、という密度で情報が共有されている環境です。