そんな暮らしは窮屈かと言えば、わたしにとっては存外楽しく、安らかなものです。農道で会えば「こんにちは!」と声をかけ、集落での連絡事項があれば、家まで出向いて回覧板を渡す。台風で倒木があったといえばみんなで片づけをし、管理の行き届かない土地があれば面と向かって「まっとちゃんとやってくれねぇばおいねっぺよ。やれねぇだら困ってねゃぁで、相談さっしゃぁよ」(もっとちゃんとやってくれなきゃだめだよ、できないなら困ってないで、相談してくれればいいんだ)と言われる。
あいさつも苦言も、真っ向からやってきます。「伝えて、共有して、確認する」という骨太のコミュニケーションです。
共同作業や持ちつ持たれつの多い生活の中では、その密度の人間関係が必要だということ。まあ、それは・ムラ社会・と呼ばれ、つながりの強さや相互監視の体制に辟易した若者はクールな都市環境へと逃げ出すと言われており、実際友人の多くもその実感を口にします。きっとわたしは、そこまで内輪の関係に入っていないから、逃げ出したくなるに至らず、いいように受け止めているのでしょう。
それにしても、居住環境の違う二地域です。関係を持たない多くの人がいる都市と、顔を知らない人のいない里山。これを行き来する中でわたしは、ふと故郷・東京でのふるまいを振り返り、「自分は、東京に、ちゃんと関わっているのだろうか?」と思うようになりました。ちゃんと、根を張っているのだろうかと。住まいがあるというだけでは、根を張っているとは言えないのではないかと。
東京の生活は本当に自由です。行動範囲が広いから、たまたま行った「店」、そこから眺めた「窓の景色」、とトリミングされた点景を渡り歩き、点と点が脈絡なくつながっていく経験そのものが都市生活です。
自分の家はもとより、その地域ひとつながりに愛着を感じる南房総の居住感覚とは、ずいぶんと趣が異なります。まるで、何でもあって誰でも入れる博覧会場のような場所に住んでいるように思えてくるのです。わたしはあくまでユーザーであり、環境のつくり手であるという意識が薄く、そんな関わり方でも生きられる東京。
わたしの故郷は、東京の「土地」ではなく、根を張らないでも生きられる東京の「空気」なのかもしれない……。そんな問答を心の中で繰り返している折りも折り、タイミングがいいのか悪いのか、「逃げてないで東京の地元にも根を張ってみたら」と言われているような出来事がありました。小学校のPTAの役員決めで、白羽の矢が立ったのです。