
佐高 信
第47回
一見、日常生活を描いているような山田太一のドラマは、なぜ魅力的なのだろうか。山田は日常生活の中に「ひとつフィクションを入れるんですね」と語る。山田ドラマの魅力に迫ってみる。

第46回
石原慎太郎が『天才』(幻冬舎)を著し、田中角栄を称揚したことに違和感を消せない。ほとんどすべての面で対極に位置していた人物だからである。角栄は民主主義者であり、身を賭して日中国交回復を成し遂げ、老婆心を持った政治家だった。

第45回
かの名監督・小津安二郎は女優・岸恵子を「岸恵子は良いよ。身持が悪くって」と評した。それは最大の賛辞だった。フランスに渡った岸はこう言う。「あー、私、日本の悪口を言い出したら3日3晩かかりそう」、「でもね、それ自分の国だから夢中になるんです」。

第44回
ミステリーで有名な夏樹静子は、生保を舞台とした企業小説『遠い約束』を書いている。彼女は「女には企業は書けないと言われると、企業を書きたくなる」と、私に語った。

第43回
当代きっての売れっ子・池上彰に「解説からもう一歩出るべき時もあるじゃないですか」と迫ると、「私のやってる仕事っていうのは啓蒙活動ですよ。本当に基礎の基礎の啓蒙活動をしているにすぎません」と自己規定した。

第42回
「当時、私は30歳でしたが、世の中のことをなんにもわかってなかったですから、ひたすら怖かったですね。家に帰れば父に怒鳴られ、職場では秋元さんに怒鳴られ、悲惨な生活を送っていました」

第41回
私が兄事したころの田原は、私へのこの過褒を借りれば、鋭いシュートボールを投げていた。それがそうではなくなったとして私は批判を始め、1998年3月15日号の『週刊読売』で最初の激突対談をした。

第40回
戦争犯罪人として裁かれた東条英機とむのは記者時代に会ったことがある。首相の東条の秘書官が演説について、「閣下が入れ歯を治して、それがうまくはまらないから、発音が悪かったんでしょう」と言っているのを聞いて、むのはそれをコラムに書いた。

第39回
「私自身の性格は「北の宿から」よりも「マイウェイ」です。そうでないと、やっていけないですよ」

第38回
美輪は10歳で敗戦を迎えるわけだが、その直前に軍人たちが、「みんな、玉砕の覚悟をしろ。1億玉砕、天皇のために最後の1人になるまで戦って死ぬんだ」と言うのを聞いて、変だ、と思った。

第37回
夏目雅子といい、篠ひろ子といい、とびきりの美人女優である。なぜに伊集院ばかりがモテるのかと言いたくもなる

第36回
日本は4年前の1936年にナチス・ドイツと日独防共協定を結んでいる。日本領事館がユダヤ人にビザを発行したことがわかれば、杉原はゲシュタポに命をねらわれかねなかった。

第35回
まもなく、西部はしばしば、「サタカ君を左翼にしておくのは惜しい」と私を冷やかし、私も、「西部さんは保守にしておくのは惜しい」と笑って返すようになる。

第34回
苦情をある種の宝として大切にしたことが、アサヒビールの奇跡の急成長の秘密だったことは容易に想像がつく。“朝日”ビールではなく“夕日”ビールだと陰口を叩かれるほど、当時、アサヒビールはキリンなどに差をつけられていたからである。

第33回
この娘は成長して、次々と母親の期待を裏切り、ついには、妻を亡くした3人の子持ちの騎手と結婚したいという。吉永正人である。

第32回
「私なんか中卒だったから、国語でも数学でも社会科でも、わからないことがいっぱいあるんですよ。だから、勉強するだけですごいなあと思うし、だから、俳句でいろんな勉強をしたあとの飲み会が楽しいんです」

第31回
渥美清は「寅さん」をいつも映画館で観ていた。もちろん、観客に渥美とわからないように気をつけてである。それも新宿で観たり、銀座で観たり、浅草で観たりする。すると、反応が違うのである。

第30回
「そういう親父のもとに育って、中学で家を出ました。北九州にいたときは不登校とかいろいろあって、というか家と世俗の価値観があまりにも合わなすぎて」。

第28回
「権力がいま何を一番利用しているかと言うと、メディアを利用しているんですよ。よくマスコミのみなさんは『反権力』と言いますよ。ところが、検察だとか警察情報なんて裏が取れないのですから。リークされたらそれを載せるしかない。そしてまたリークされたものを載せないと、次は教えてくれないんですよ。」

第27回
私が中山に脱帽する第一は勲章の拒否。勲章はもらった奴より、拒否した人間が格段にエライんだと私は言っているが、中山や元外相の伊東正義を挙げれば、それは明らかだろう。『日本経済新聞』の「私の履歴書」の執筆を断り通したというのも痛快である。
