後藤謙次
首相の菅義偉の退陣表明を受けた自民党総裁選は、当初想定された“オールスター”ではなく“ジュニアオールスター”の様相だ。ただ、選挙全体の構図は前首相の安倍晋三が9年にわたって構築した「安倍1強体制」の存亡が懸かった大戦になりつつある。派閥総崩れの総裁選は自民党の歴史をさかのぼっても例を見ない。

無派閥議員として頂点を極めた首相の菅義偉(72)は、権力を巡る攻防の果てに突然表舞台から姿を消した。そして菅退陣劇の中で新たに生まれた確執がまた次の権力闘争の舞台の幕を上げた。

政治は一瞬にして大きく流れを変える。8月30日午後3時半、自民党幹事長の二階俊博が側近の幹事長代理、林幹雄を伴って首相官邸に現れた。林は、首相の菅義偉のために二階が用意した地元和歌山県の特産品の梅干しが入った白い紙袋を手にしていた。政治を左右する重要会談にも手土産を忘れない二階独特の気配りは全く変わらなかった。二階を待っていた菅はいきなり切り出した。

横浜市長選の「歴史的な惨敗」(自民党幹部)の責任者といえる首相の菅義偉は、8月24日、自民党本部で開かれた自民党役員会に出席した。出席者によると、菅は一言も発することなく、幹事長の二階俊博の発言を黙って聞いていた。15分ほどで役員会が終了すると、菅は出席者一人一人に頭を下げて回ったという。そこにおわびの意味が込められていたことは言うまでもない。

「今回の宣言が最後となるような覚悟で政府を挙げて全力で対策を講じる」首相の菅義偉が国民に向かってこう約束したのは、東京五輪開催中の7月30日の記者会見だった。この日開かれた政府の感染症対策本部で、すでに緊急事態宣言が発令されていた東京都と沖縄県に加え、神奈川、大阪など4府県が発令対象となった。この会見で五輪の中止の可能性について問われると、菅はこれを即座に否定した上で、「五輪は感染拡大の原因にはなっていない」と言い切った。

首相の菅義偉が政権の命運を懸けた東京五輪が閉幕した。競技を振り返れば、金メダルラッシュで日本人選手の活躍が目立った。五輪を追い風に政権を浮揚させる。これが政権与党が描いた基本戦略だった。元官房長官で五輪招致に尽力した河村建夫が大会中に地元、山口県萩市の会合で思わず本音を吐露した。

賛否両論が渦巻く中で始まった東京五輪は日本人選手のメダルラッシュが続く。ほとんどのメダリストたちがインタビューで異口同音に語るのが、開催実現への感謝の言葉だ。「たくさんの人のおかげで開催までたどり着いた。いろんなことを考えると、今はたくさんの思いが込み上げてきた」(柔道男子66キログラム級金メダリストの阿部一二三)。阿部が口にした「たくさんの人」の中には、首相の菅義偉も含まれていたに違いない。

前首相の安倍晋三が3選を目指して自民党総裁選への立候補を表明したのは2018年8月26日。総裁選の日程が「9月7日告示、同20日投開票」と決まってからだった。視察先の鹿児島県垂水市で記者団に答えている。「あと3年、日本のかじ取りを担う決意だ」

経済再生担当相の西村康稔が発した酒類の提供停止を巡る発言の波紋がなお収まらない。西村発言が菅義偉政権の構造上の問題、ひずみを浮かび上がらせ、東京五輪開催を間近にして政権の土台を揺さぶる。発端は菅が東京都に再び緊急事態宣言を発令することを明らかにした7月8日西村の記者会見だった。

東京都議選の余韻が残る7月5日午後5時すぎ、東京都知事の小池百合子が東京・永田町の自民党本部を訪れた。小池は病み上がりのはずだが、それとは無縁のはつらつとした姿は“凱旋将軍”のようだった。4日投開票の都議選の結果は、「自民復活」の前評判は木っ端みじんに吹き飛ばされて33議席。逆に小池が特別顧問を務める都民ファーストの会は「一桁転落」の予想を覆して自民に迫る31議席。自民党がもくろんだ「自公で過半数(64議席)」に届かなかった。終わってみれば「小池劇場」のシナリオ通りだったのかもしれない。

飄々とした語り口ながら吐き出される言葉の数々は当意即妙、卓抜な表現で、いつも時代を見事なまでに切り取っていた。「昭和元禄」「物価狂乱」「人命は地球より重い」――。目次を拾い読みするだけで時代と政治の鼓動が伝わってくる。

「主役」が何の前触れもなく表舞台から姿を消した。東京都知事の小池百合子のことだ。6月22日夜、東京都庁の発表が行われた。「小池知事は過度の疲労で静養が必要になった。今週の公務を離れる」。小池はその夜のうちに都内の病院に入院した。

首相官邸とメディアとの間で長く続く取材慣行の一つに、「内政懇」がある。首相が外国訪問をした際に、現地で同行記者団から帰国後の政権運営について取材を受けることをいう。出席できるのは首相に同行した各社1人だけ。基本的には政治部所属の記者に限定される。初めて先進7カ国首脳会議(G7サミット)に出席した首相の菅義偉も最終日の6月13日午後(日本時間14日未明)、内政懇を行った。

旧国鉄、旧電電公社、旧専売公社の3公社民営化の道を開いたのが、鈴木善幸内閣で設置された第2次臨時行政調査会(通称「臨調」)。そのトップが経団連会長の土光敏夫だ。今も「土光臨調」として歴史に名を残す。「増税なき財政再建」を掲げ、政府には有無を言わせず「臨調答申の実行」を約束させた。

首相退陣から約9カ月。前首相の安倍晋三が露出度を一気に上げている。5月3日のBSフジ「プライムニュース」で、9月の自民党総裁選を視野にいち早く首相、菅義偉の続投を支持。さらに月刊誌「Hanada」7月号のインタビュー記事で「ポスト菅」を巡り4人の政治家の名前を挙げた。4人の月旦評も加えた、いわば「安倍リスト」の波紋が党内に広がった。

首相の菅義偉にとって東京五輪の開催が政権浮揚には最強の“援軍”だったはずだ。五輪の熱気、興奮をそのまま衆院解散に持ち込んで自民党総裁選を乗り切る――。ところが今や新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、五輪開催そのものに疑問符が付く。4月のCS番組での自民党幹事長、二階俊博の発言がよみがえる。

各メディアが実施した世論調査で菅義偉内閣の支持率が急落している。前週のNHKの35%に続き、5月17日付朝刊で「朝日新聞」が報じた支持率は33%。前回調査より7ポイント下落、不支持率は47%で、こちらは8ポイントも上がった。支持率が30%を切ると政権維持の危険水域に入る。18日付の「産経新聞」も支持率は前回より9.3ポイント減の43.0%、不支持率は52.8%になった。他のメディアも同様の傾向を示す。

綸言汗の如し――。トップリーダーが一度口にした言葉は元に戻すことができない。首相の菅義偉の前にも、自ら発した言葉の壁が立ちはだかる。

大型連休が終わると同時に政局は本番を迎える。ゴールは10月21日が任期満了の衆院総選挙。「勝負の半年間」の最終ラウンドのゴングが鳴った。

首相の菅義偉にとって難関の一つだった米大統領、ジョー・バイデンとの日米首脳会談から約1週間。政府関係者は口をそろえて「大成功」を口にするが、なお評価は定まらない。むしろ懸念の声も少なくない。
