
後藤謙次
岸田内閣の支持率は5月に開催されたG7広島サミットを境にピークアウトしたことが明確になった。大雨による洪水被害や新型コロナウイルス感染者数の増加、国民生活に打撃を与える物価高など、諸問題に対する政治の動きが見えてこない。衆議院解散を見送った岸田の求心力の衰えは否定できない。

7月8日の安倍の一周忌を経て、安倍派の混乱ぶりは一層鮮明になってきた。もともと安倍が明確な後継者を育ててこなかったことが混迷の原点だった。元首相の安倍晋三を失い、会長不在のまま混迷が続く最大派閥の安倍派を巡る状況は、過去の自民党分裂劇と通じるところがある。

政界最大の実力者だった安倍晋三(享年67)が凶弾に倒れてから1年の時が流れたが、安倍が抜けた穴を政界全体が今も埋められずにいる。最大の要因は、所属議員が100人を超える自民党最大派閥の安倍派(清和政策研究会)が会長すら決めることができないまま、一周忌を迎えたことにある。

G7広島サミットで上昇した岸田文雄内閣の支持率は約1カ月で消失した。下落の原因は明確で、政府が導入を急ぐマイナンバーカードを巡るトラブルに対する拭い難い不信感に起因する。加えて各社の世論調査が示す新たな政治の潮流が解散時期の判断を難しくしている。

岸田はこの国会で解散権という「伝家の宝刀」の柄に手を掛けようとしたことは間違いない。しかし、結果として「宝刀」は抜かずに鞘に収まったままだ。自民党長老の一人は「もったいないことをした」と語るが、早くも秋の臨時国会での解散説が浮上する。

参院議員引退から13年を経て、なお政界に隠然たる影響力を保持していた元官房長官の青木幹雄が6月11日午後8時35分、川崎市内の病院で死去した。衆院選挙の有無にかかわらず、夏には内閣改造と党役員人事が行われる。「青木の死」が岸田の人事構想にどこまで影響を与えるのか。

首相の岸田文雄は長男で首相秘書官の翔太郎を更迭した。その狙いについて岸田に近い政権幹部は「解散権の制約を解除することにあった」と語る。翔太郎の問題に重なるように自民・公明の対立が表面化したことについて、立憲民主党幹部は、解散阻止が目的とみている。

5月21日午後、サミットで議長を務めた首相の岸田文雄は広島の平和記念公園で記者会見に臨んだ。岸田の発言には力がこもり、それは地元で開いたサミットを終えた自信の反映にも見えた。ウクライナの大統領ゼレンスキーの出席もあったサミットを終え、東京に戻った岸田自身は達成感に浸ったようだ。

首相の岸田文雄の「顔」が話題になっている。5月19日からの先進国首脳会議(G7広島サミット)を前に発売された米誌「タイム」の表紙のことだ。やや上目遣いで眼光鋭い表情は温厚、穏健なこれまでの岸田のイメージとは全く違う印象を与える。確かに最近の岸田は体全体から自信がみなぎる。広島サミットを通じて岸田は「世界の顔」になったといっていい。しかし、サミットを乗り越えた岸田は何をもって求心力を高めることができるのか。

先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の開催が5月19日に迫る。主役は地元が広島の首相、岸田文雄だ。サミットまであと2カ月となった3月中旬以降は、怒濤の勢いで岸田外交を展開した。皮切りは3月16日の日韓首脳会談だった。来日した韓国大統領の尹錫悦との間で懸案の元徴用工問題に前進が見られ、劇的に日韓関係は改善に向かったが、自民党内保守派の圧力は尋常ではなかったようだ。

4月23日に投開票された衆参両院の5補選の結果は、首相の岸田文雄が繰り返していた勝敗ラインを越えて「4勝1敗」。数字を見れば上出来といえたが、選挙戦の内実はお寒い限りだった。選挙を重ねるごとに強さを見せつける日本維新の会は、追い風を背に次の衆院選で強気の方針明らかにした。

首相の岸田文雄が衆院和歌山1区の補欠選挙の応援遊説中に鉄パイプ爆弾の標的になった。この日は和歌山に続いて衆院千葉5区の補選の応援にも入る予定が組まれ、その遊説をどうするかの判断を迫られた。「暴力に屈するわけにはいかないのでこのまま遊説を続けます」と、岸田は予定通り、JR和歌山駅前で待機していた選挙カーの上に立った。事件は「岸田政権にとってプラスになった」との見方がある一方で、厳しい分析も存在した。

日韓外交に続いて日中外交が動きだした。外相の林芳正が北京を訪れ、4月2日に中国外相の秦剛と約3年ぶりの外相会談を行った。それだけでなく、林は中国国家主席、習近平の側近で首相に就任したばかりの李強、さらに中国外交のトップである王毅とも立て続けに会談を重ねた。北京ウオッチャーも「破格の厚遇」と評した。しかし中国がいきなり対日姿勢を変えるはずはない。

3月9日、89歳で死去した扇千景は女性で初めての参議院議長。その議会運営は与野党に偏ることなく公平無私を貫いた。扇の前には旧社会党の委員長から女性として初めて衆議院議長になった土井たか子(2014年85歳で死去)がいた。二人の女性は平成の時代に入って政治が激しく揺れ動いた乱世に議長となり、その才を発揮したが、その後は政治全体を大きく動かす女性国会議員は登場していない。

またぞろ永田町に解散風が吹いている。衆院解散権を持つ首相の岸田文雄が思わせぶりな行動を続けているからだ。永田町に解散風が吹くと決まって起こる現象がある。「解散なし」ではなく、「解散あり」に向かって後押しする理由がどんどん付け足されていくことだ。

4年に1度の統一地方選挙が始まる。今回の大きな特徴は、知事選挙や地方議会議員選挙などに加え、衆参の五つの補欠選挙が重なることだ。さらに衆院小選挙区の「10増10減」に伴う次期衆院選を巡る候補者選びが絡み合い、異例の様相を呈している。中でも日本維新の会の動向に注目が集まる。

経済安全保障担当相の高市早苗は3月3日の参議院予算委員会で「文書の信憑性に大いに疑問を持っている。全くの捏造文書だ」と言い切った。高市が言及した「文書」とは、小西が前日に公表した安倍晋三内閣当時に総務省が作成したとされる放送法の解釈変更を巡る経過を記録した文書のことだ。「小西文書」は安倍政権下で行われた電波メディア対策を時系列的に克明に伝える。

第90回自民党大会は、運動方針が示した筋書きとは明らかに食い違った。自民党は連合会長の芳野友子の党大会出席を前提にする運動方針案を発表したが、会場となった「グランドプリンスホテル新高輪」に芳野の姿はなかった。岸田は連合との連携強化を模索する意向を示したが、一度失われたベクトルを取り戻すのは容易ではない。

2月16日夕、公明党の広報からマスコミ各社の公明党担当記者に直接電話連絡があった。公明党の元代表代行、浜四津敏子の訃報だ。「浜四津さんの死去が判明しました。死亡日時は2020年11月29日です」という。当時、浜四津は75歳。2年以上も前に死去したことが、なぜ今ごろになって表に出てきたのか。公明党幹部によると、浜四津の死去を最初にキャッチしたのは共同通信の政治部記者だった。

首相の岸田文雄は日本銀行の新しい総裁に経済学者の植田和男(71)を指名した。焦点は体操競技でいえば、全世界が注目する中で「ピタリと着地できるかどうか」にあった。国際金融に詳しいアナリストは「ベストな人事。金融分野の保守本流」と絶賛するが、一方で冷ややかな見方も存在する。
