岸田政権の要石となった元首相、実質的な「森派」復活の内実8月29日午後、東京・芝公園の東京プリンスホテルで営まれた、元自民党参院議員会長、青木幹雄の「お別れの会」(党葬)で、弔辞を述べる元首相の森喜朗 Photo:JIJI

 政治家同士の思惑がこれほど激しく交錯した葬儀は珍しかった。8月29日午後、東京・芝公園の東京プリンスホテルで営まれた、「参院のドン」と呼ばれた元自民党参院議員会長、青木幹雄の「お別れの会」(党葬)のことだ。生まれ故郷の出雲大社の名誉総代でもあった青木の遺影は、神式の祭壇の上に掲げられた。

 実行委員長は首相の岸田文雄。参列者にも自民党の首相経験者が顔をそろえた。森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎、菅義偉。岸田は弔辞で「政治家の武器は言葉だといわれるが、青木先生ほど言葉に力のある政治家を知らない」と青木をたたえた。

 この日のハイライトは友人代表としてマイクに向かった森だった。つえを突いて席を立った森は青木との70年近い交遊に触れた。青木と森は早稲田大学雄弁会の先輩後輩の間柄。同じ雄弁会の後輩だった小渕恵三が首相になると、森が自民党幹事長、青木は異例の参院議員の官房長官として小渕を支えた。しかし、小渕は脳梗塞で倒れ、森が後継の首相に就任し、青木はそのまま官房長官を続投した。

 これほど長く深い関係を結んできた青木が2021年11月、首相に就任した岸田が、衆院選挙後の人事で、外相だった茂木敏光を幹事長に起用すると、森に「出入り禁止」を申し渡した。

 森はこの日の弔辞で詳しい経緯に触れることはなかったが、青木と会えなくなったことに言及してこう語った。