
後藤謙次
「旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と接点のある議員がある程度は閣内に入ってくることは想定していたが、これほど多いとは思わなかった」。首相、岸田文雄(65)の側近は困惑を隠さない。岸田が意表を突くように断行した内閣改造などの一連の人事が、逆に岸田の足元を揺さぶっているからだ。

首相の岸田文雄は永田町の相場観だった「内閣改造は9月上旬」を大幅に繰り上げて8月10日に断行した。昨年の衆院選に続いて2度目の前倒しによるサプライズ。「前倒しの岸田」と呼んでもいい。岸田が一気に改造人事に向かった背景には内閣支持率の急落があった。

首相の岸田文雄は昨年9月の自民党総裁選以来、10月の衆院選、そして今年7月の参院選まで大きな選挙は3連勝の結果を出した。この足取りは2012年9月の総裁選で返り咲きを果たした元首相、安倍晋三と重なる。安倍と違うのは衆院選が12月だったという点だけ。7月の参院選を経て岸田も順風満帆の船出が想定された。ところが安倍が凶弾に倒れるという驚天動地の事件に遭遇し、岸田シナリオは大きく崩れ去った。安倍の突然の死は岸田に数々の難題を課した。

元首相、安倍晋三の衝撃的な死から2週間あまり。事件直後に行われた参院選も霞んで見えなくなっているほどだ。それに比べて日ごとに大きくなっているのが「安倍が抜けた穴」ではないか。他を圧する影響力を持っていた安倍が忽然とこの世から消えて以来、政界全体が思考停止状態にあると言っていい。全ての面で安倍が現在進行形の政治家だったからだろう。安倍自身も6月6日に開かれた自民党参院議員、石井準一のパーティでこんな発言をして波紋を呼んだ。

元首相の安倍晋三が凶弾に倒れた結果、参議院選挙に圧勝した自民党だが、党内は流動化するという極めて皮肉な状況に直面している。特に存続の危機に直面した自民党最大派閥の安倍派は、「集団指導体制」に向けた動きを模索する。その構成メンバーとして取り沙汰されている5人の実名を明らかにする。

参院選は最終盤まで一度も盛り上がることはなし。おそらく過去を振り返ってもこれほど低調な参院選は記憶がない。投開票の7月10日が迫る中で報じられた有力新聞の情勢記事も「与党(自公)過半数の勢い」でほぼ一致。選挙戦中盤になって①猛暑による電力不足、②円安による物価高、③新型コロナウイルスの新規感染者再拡大の兆候――など自民党に不利な状況も生まれたが、首相の岸田文雄の内閣支持率が急落することもなかった。

1989(平成元)年の参議院選挙は戦後政治の流れを変えた大きな転換点だった。自民党が惨敗して「衆参ねじれ国会」が生まれたからだ。4年後の93年衆議院選挙で、その政治状況が自民党の初めての野党転落につながった。

「今回の人事で岸田首相を見直した」。こう語るのは防衛相経験者の一人。「今回の人事」とは首相の岸田文雄が電光石火で断行した防衛省の事務次官交代のことだ。現事務次官の島田和久は元首相、安倍晋三の首相秘書官を6年半も務めた安倍側近官僚。防衛省関係者によると安倍も安倍の実弟で防衛相の岸信夫も「島田続投」で動いていた。

通常国会は大きな波乱もなく閉幕。舞台は回って次の焦点は6月22日に公示される参院選に移った。しかし、参院選も野党側の足並みの乱れが露呈して与党である自民、公明両党のペースで展開されそうだ。そんな空気を反映し、自民党内の最大関心事は参院選後に首相の岸田文雄が行う内閣改造と自民党役員人事に移っている。

元首相の安倍晋三の活字が新聞の政治面に載らない日はない。とりわけここ約1カ月間の安倍の言動はますます激しさを増す。

首相である岸田文雄の「防衛費増額」発言の波紋が広がる。5月23日の米大統領ジョー・バイデンとの共同記者会見でその発言は飛び出した。「日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領からは、これに対する強い支持をいただきました」。なぜこの場で岸田は防衛費に関してあえて「相当な」という表現を使ったのか。

5月23日夜、東京・白金台の「八芳園」周辺はものものしい警備態勢が敷かれ、そこに至る沿道には黒山の人だかりができた。首相の岸田文雄が、来日した米大統領ジョー・バイデンを招いて夕食会を八芳園で開いたからだ。過去にも来日した米大統領へのもてなしは本筋の首脳会談とは別に大きな話題を提供してきた。

「式辞も涙のうちに終わり(中略)、小生の日本国並みに天皇陛下の万才で堂も揺れるような斉唱で閉づ」。これは米軍統治下からの沖縄返還を実現した首相、佐藤栄作(当時)が、1972年5月15日の復帰当日に書き残した日記の一部(原文ママ)だ。佐藤は「米国に感謝、感謝」ともつづった。

「東京の街を歩いていても参院選の立候補予定者のポスターを見ることがない。こんな大型連休は初めてのことだ」。数十年にわたって国政選挙に関わってきた自民党ベテラン秘書の呟きである。今年の参院選の投開票日は7月10日。残り2カ月を切った。

大型連休が明けると、隣国韓国に新しい大統領が誕生する。尹錫悦。就任式は5月10日。尹は冷え切った日韓関係の改善に意欲を示す。そのため連休前には国会副議長の鄭鎮碩を団長とする政策協議代表団を日本に送り込んできた。焦点は首相の岸田文雄と面会ができるかどうかにあった。

「みんなが『大丈夫か。頼りない顔だな』と言っていたが、やらせてみたらそこそこやる」。自民党の副総裁、麻生太郎による岸田文雄首相評だ。4月17日の講演で飛び出した麻生らしい相変わらずの上から目線で、岸田を持ち上げた。麻生が口にした「そこそこやる」が具体的に何を指すのかは判然としないが、確かに昨年10月の首相就任から半年を経過しての内閣支持率は「そこそこ」以上の安定感を示す。

「ここは1議席よりも将来の自民党政権の安定を目指すべきだ」。自民党の選挙戦全体の戦略・戦術に大きな影響力を持つ幹部の意向が実現しつつある。夏の参院選まで残すところ約2カ月。焦点の32ある改選1人区の一つ、山形選挙区の公認調整を巡り、自民党執行部は「不戦敗の選択」に向かうことになった。

米大統領のジョー・バイデンがポーランドの首都ワルシャワで行った演説の波紋が広がる。「この男は権力の座に居座ってはならない」。ウクライナに軍事侵攻したロシア大統領のプーチンを名指しで口を極めて批判したことだ。

ロシアがウクライナに武力侵攻したのは2月24日。圧倒的な戦力差から国際社会は短時間でロシア軍がウクライナ軍を制圧するとみていた。しかし、戦端が開かれて1カ月以上経過したが、伝わってくる情報は「ロシア苦戦」「戦闘は膠着状態」など長期戦の見通しを示すものばかり。侵攻に踏み切ったロシア大統領のプーチンは誤算続きといっていい。その焦りからなのだろう。一般市民への無差別攻撃や極超音速ミサイルの発射など見境のない武力行使を開始した。

昨年9月に他界した自民党の平成研究会(茂木派)前会長、竹下亘(享年74)の「お別れの会」が3月14日昼、東京・芝公園の東京プリンスホテルで開かれた。コロナ禍のためセレモニーは省略され、参列者は大きな遺影の前に献花して別れを告げた。参院予算委員会の休憩時間を利用して首相の岸田文雄も駆け付けた。司会は自民党組織運動本部長の小渕優子が務め、参列者の中には亘の実兄で元首相、竹下登ゆかりの関係者も多く見られた。さながら旧竹下派の“同窓会”のような空気が支配した。
