後藤謙次
#84
岸田文雄政権の支持率は低迷を続け、混迷の度を深める2023年の政局。最大のポイントは岸田首相が衆院解散権を行使するか否か。解散時期、波乱要因、さらに野党の動向なども踏まえて、「ダイヤモンド・オンライン」の人気連載「永田町ライヴ!」の特別編として、政治コラムニストの後藤謙次が読み解く。

2023年の日本の政治は首相、岸田文雄が主導権を握って始まった。1月9日未明、政府専用機で米欧4カ国の歴訪に向かった岸田の表情にそのことがはっきりと見て取れた。わずか1カ月前の岸田の置かれた状況を思えば信じ難い光景だ。過去の例からすれば、「政権崩壊前夜」(自民党幹部)の様相だったが、岸田は一夜にして状況を一変させた。

首相、岸田文雄が防衛費増額に伴う財源を確保するための増税を打ち出したことで、安倍派の反発が強まっている。防衛費増額を巡る岸田の判断は、岸田が置かれた政治状況をそっくり投影している。岸田の中央突破路線にどこまで成算があるのか。

来年4月に予定される統一地方選挙を前に、全国的に有権者の意識に変化が起きている可能性がある。それを強く感じさせたのが12月4日に投開票された東京・品川区長の再選挙だ。混迷が続く政治状況の中で地方選挙の動向は侮れない。

わずか1カ月で3人の閣僚が辞任した岸田文雄内閣。しかし辞任騒動はこれで打ち止めとはならない。なお4人目が瀬戸際に立つ。復興相の秋葉賢也だ。秋葉の場合、地元の政治団体が秋葉の妻と母親に事務所の賃料を支払っていたことなどの「政治とカネ」の問題に加え、公職選挙法違反と思われる行動などイエローカードが乱発される。

わずか1カ月間に起きた3閣僚連続更迭劇。異常事態というほかはない。臨時国会の会期は12月10日までで、重量級の課題が山積。さらに国会閉会後には2023年度の予算編成作業が待ち受ける。どうひいき目に見ても先行きの展望は見えてこない。

前経済再生相の山際大志郎に続き、法相の葉梨康弘の更迭に踏み切った岸田首相。わずか半月余での2人の閣僚交代が政権運営に及ぼす影響は極めて大きく、直近の世論調査では、支持率の低下とともに不支持率の上昇が止まらない。

「待ちの岸田」が動きだした。公明党代表の山口那津男、自民党副総裁の麻生太郎、そして二階俊博との会食だ。ようやく二階の協力を取り付けたが、現実は臨時国会召集から1カ月が経過しても成立した法案はゼロ。「お寒い自民党国対」は変わらない。

「遅過ぎたが既定路線」と言っていいだろう。前経済再生担当相の山際大志郎の更迭劇のことだ。首相の岸田文雄は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を巡って進退が問われ続けていた山際に、やっと10月24日夕に辞表を提出させた。

9月27日の元首相、安倍晋三の国葬に続き、10月15日には安倍の地元、山口県下関市で県民葬が行われ、安倍の弔いは一区切りついた。その一方で決着を見ないのが、安倍が率いた自民党最大派閥の安倍派(清和政策研究会)の後継者選びだ。安倍の急死後、「国葬までは現体制維持」を申し合わせていたが、10月13日の派閥の総会でも結論が出ず、決定は先送りされた。

首相、岸田文雄の内閣支持率の下落が止まらない。共同通信が実施した最新の世論調査(10月8、9日)でついに支持率は40%を割り込み35.0%になった。これに対して不支持率は48.3%に達した。このまま有効な手を打てなければ、“危険水域”とされる30%台を割り込むのは時間の問題といえる。岸田にこの窮地から脱出する道はあるのか。自民党幹部も「八方ふさがりで出口が見えない」と語る。

1985年9月23日――。37年前のこの日は秋分の日で休日でもあった。起床と同時にテレビのスイッチを入れると驚きの映像が飛び込んできた。担当記者として前日から所在を見失っていた大蔵相、竹下登が米ニューヨークからの衛星中継で映し出されたのだった。

元首相、安倍晋三の暗殺事件をきっかけに表面化した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党議員との関係が次々に明るみに出る。自民党内には「いずれ時間が解決する」と楽観的な見方を示す幹部もいるが、事はそれほど甘くはない。とりわけ自民党にとって深刻なのは、幹事長の茂木敏充が「点検」と称して実施した調査が新たな火種をつくったことだ。

首相の岸田文雄は9月5日午後、久しぶりに衆院第2議員会館の事務所に前首相、菅義偉を訪ねて会談した。実に6月20日以来。岸田は会談後、記者団にこう説明した。「いくつかアドバイスもいただいた。大変参考になるやりとりだった」。会談の所要時間は15分程度だったが、岸田は急死した元首相、安倍晋三の国葬で友人代表として追悼の辞を読んでほしいと菅に打診したとされる。菅は昨年10月の首相退陣後も全国を精力的に飛び回り、先の内閣改造・自民党役員人事を巡っても、菅の要職への起用が取り沙汰された。しかし、岸田は菅を処遇せず今日に至る。

首相の岸田文雄が決断した元首相、安倍晋三の「国葬」が9月27日に迫ってきた。しかし、安倍の急死とともに表面化した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍や自民党議員とのただならぬ関係によって、国葬そのものに反対する国民世論が厳しさを増す。岸田がもくろんだ安倍を支持した保守層へのアピールと、弔問外交による安倍の「外交遺産」の継承のいずれの成果にも疑問符が付き始めた。

1年前の今ごろ永田町で「毎日ショック」という言葉が使われた。毎日新聞の世論調査で菅義偉内閣の支持率が30%を切って、26%に落ち込んだことをそう呼んだ。これを契機に菅の迷走が始まり、自民党総裁選挙への不出馬を表明するに至る。毎日ショックの再現を思わせるような世論調査の結果を8月22日付朝刊の毎日新聞が報じた。岸田文雄内閣の支持率だ。

「旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と接点のある議員がある程度は閣内に入ってくることは想定していたが、これほど多いとは思わなかった」。首相、岸田文雄(65)の側近は困惑を隠さない。岸田が意表を突くように断行した内閣改造などの一連の人事が、逆に岸田の足元を揺さぶっているからだ。

首相の岸田文雄は永田町の相場観だった「内閣改造は9月上旬」を大幅に繰り上げて8月10日に断行した。昨年の衆院選に続いて2度目の前倒しによるサプライズ。「前倒しの岸田」と呼んでもいい。岸田が一気に改造人事に向かった背景には内閣支持率の急落があった。

首相の岸田文雄は昨年9月の自民党総裁選以来、10月の衆院選、そして今年7月の参院選まで大きな選挙は3連勝の結果を出した。この足取りは2012年9月の総裁選で返り咲きを果たした元首相、安倍晋三と重なる。安倍と違うのは衆院選が12月だったという点だけ。7月の参院選を経て岸田も順風満帆の船出が想定された。ところが安倍が凶弾に倒れるという驚天動地の事件に遭遇し、岸田シナリオは大きく崩れ去った。安倍の突然の死は岸田に数々の難題を課した。

元首相、安倍晋三の衝撃的な死から2週間あまり。事件直後に行われた参院選も霞んで見えなくなっているほどだ。それに比べて日ごとに大きくなっているのが「安倍が抜けた穴」ではないか。他を圧する影響力を持っていた安倍が忽然とこの世から消えて以来、政界全体が思考停止状態にあると言っていい。全ての面で安倍が現在進行形の政治家だったからだろう。安倍自身も6月6日に開かれた自民党参院議員、石井準一のパーティでこんな発言をして波紋を呼んだ。
