17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会って、哲学のことを考え始めます。
そしてゴールデンウィークの最終日、ニーチェは「お前を超人にするため」と言い出し、キルケゴールを紹介してくれます。
そのキルケゴールは、「自由のめまい」という聞きなれない言葉について説明をはじめるのでした。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第25回めです。
選ばなかった可能性が、僕を、僕を殺しにくる!
「そうです。人は自分で気づいていないかもしれませんが、つねに選択しながら生きているのです。
そして何かを選択するということは、選択しなかった可能性もしくは、選択肢として思いつかなかった選択の可能性が生まれてきます」
「それはどういうこと?」
「例えば、AとBという選択肢の中で迷っている人がいるとしますよね。その人はAという選択肢を選んだとする。
するとBという選択肢を選んだ先にあった可能性を捨てることになる。
もしくはAとBで悩んでいたが、実はCという選択肢もあったとする。
するとその人は、BとCという選択肢の先にある可能性を捨てたことになるんです」
「いわゆる、“たられば”というやつですか」
「そうです。何かを選択するということは“選択しなかった先の可能性”を生むことになるのです」
「そうすると、選択しなかった可能性に後悔することもある、ということだよね」
「はい。私たちは自由です。自由に生きているということは、何を選択してもいいという状況下にありますし、また“何も選択しないという選択”をとることも出来るのです」
キルケゴールはテーブルの脇に置いてあるメニューを広げ、こう言った。
「つまり、僕がこのメニューの中から、かき氷を選ぶとしますよね。すると、冷やしぜんざいや、わらびもちを食べて美味しいと感じる可能性を捨てることになる。
もちろん全部頼むという選択をとれればいいのですが、人生においては、すべての選択肢をとれないことがほとんどではないでしょうか……。世知辛いのですが、それが現実です。
グスッ……そう考えると……アアアアア!選ばなかった可能性が、僕を、僕を殺しにくる!」
キルケゴールは思いつめたような表情を浮かべたと思いきや、突如奇声を発し過呼吸に陥った。
「キルケゴール、落ち着くのだ!アリサ、キルケゴール君に水を!大丈夫だ、存在しないものに殺されたりなどしない!よし、深呼吸しよう。はい、ヒーヒーフー、ヒーヒーフー」
「ニーチェ、その呼吸はラマーズ法だよ。出産の時のやつ!キルケゴール君、落ち着いて、はいゆっくり吸って、吐いて~大丈夫だよ」
「すいません……うう、不甲斐ないです」
キルケゴールは目に涙を浮かべたまま、ゆっくりと息を整えながらそう答えた。
「大丈夫だよ。けど、キルケゴール君の話を聞いていると、そうなる気持ちもわかるよ。選択ってちょっと怖いというか、重いものに感じてきた」
「そうだな、たしかに冷やしぜんざいも、かき氷も美味そうだもんな。そう言われると迷ってくるな、うーむ」
ニーチェは右手で前髪をくるくるといじりながら、メニュー表を手に取りまじまじと見た。たしかにそう言われると、どれも美味しそうに思えてくる。
「これこそが“自由のめまい”なんです。可能性という言葉だけを聞くと、ポジティブなイメージを抱きますが、可能性とは、まだ訪れていない未来。
つまりまだ何もない“無”なんです。
僕たちは、人生の中でいろんな選択をすることによって、無である未来を切り開いていかなくてはならない。未来は与えられるものではなく、自分の選択によりつくられていくもの。
自由な私たちはどんな選択も出来る、だからこそ自分の選択で未来を放棄することも出来てしまう。自分の選択には不安がともなう。
そうすると、選択することは少し怖いですよね。そして手が届きそうなものが見えている時ほど、不安は浮かび上がってくるのです」
キルケゴールは少しずつ落ち着きをとりもどしながら、そう答えた。手が届きそうなものが見えている時ほど、不安は浮かび上がってくる、とはどういうことか、私はその言葉が胸にひっかかった。