多忙な人の生活をリアルに感じながら「自分の時間を取り戻す」方法を考えるシリーズ、3人目の主役はフリーで働く陽子です。ブラック企業から逃げ出し、ようやく独り立ちできたと思ったらその生活は再び……
陽子の問題点はなになのか?どうすればこの生活から逃れられるのか?ぜひ彼女へのアドバイスを考えてみてください。
休めない女 陽子
陽子が大学3年生の秋、リーマンショックが起こり、直後から日本は未曾有の不景気に襲われた。ひとつ上の先輩の中には突然の「内定切り」に遭う人が何人も現れ、その後に始まった陽子の就職活動も想像を絶する厳しさとなった。
採用予定数も会社説明会も大幅に縮小され、応募しようにもエントリーさえさせてもらえない。陽子は卒業間近まで1年近くリクルートスーツを着続けたが、それでも得られたのは、IT関連の下請け企業における契約社員という仕事だけだった。
しかもそこでは、驚くほど過酷な労働が待ちうけていた。「こんなご時世に雇ってもらえるだけでありがたいと思え」とばかりにこき使われ、連日終電近くまで働いた。新聞やテレビでは、突然に解雇され住むところを失った非正規ワーカーたちの悲惨な様子が毎日のように報道されている。
陽子は心の底から恐ろしかった。「この仕事を失ったら私の人生は終わってしまう」――そんな悲壮な思いと共に、ただ黙々と働き続けた。
それから5年。最初は右も左もわからなかった陽子だが、先輩社員が次々と退職するなか、がむしゃらに働くことで、それなりのスキルが身についた。しかし相変わらず会社の経営は厳しい。おそらくこのまま勤めていても正社員にはなれないだろう。非正規のままでは給与も上がらないし休暇もとれない。それどころかいつ契約解除になってもおかしくない。陽子は転職を考え始めた。
最初に向かったのは転職エージェントだ。景気も少しは回復していたし、陽子が身につけたIT関連のスキルは需要も高い。話を聞く限り転職は可能そうだった。
けれど面接に行ってみると、いつも「この会社に入っても、結局は今までと同じ目に遭うだけだ」と思えた。どの職場でも長時間労働が常態化していたし、働いている人から「仕事が楽しくて充実している!」という雰囲気はみじんも感じられない。しばし実家で体と心を安めながら、陽子は決心した。「思い切ってフリーランスでやってみよう」
ちょうどその頃、フリーランスワーカーと仕事の発注者をネット上でマッチングするクラウドワーキングという働き方が注目されていた。甘い世界ではなさそうだが、陽子はダメ元でいくつかのサイトに登録をしてみた。
しかし、登録しただけではなにも起こらない。仕方なく、学生バイトでもやらないような単価の低い仕事を受けてみた。なんの実績もない間は、よいレビューを獲得するのがなにより大事だからだ。しかしそんな仕事をいくら受けても収入はしれている。最初の半年間の収入は月に2万円から5万円。実家暮らしでなければとても食べていけなかった。
とはいえ半年、そして1年とマジメに仕事を続けていると、固定客も少しずつ増え、月の収入もようやく10万円台に乗った。一度うまく回り始めるとレビューが増え、それを見て新たな客から依頼が届く。こうして2年目が終わる頃には、ほぼ前職と同じくらいの手取りを稼げるようになっていた。
しかしほっとすると同時に陽子は、「なにかがおかしい」とも感じ始めていた。というのも、彼女はふたたび仕事に追いまくられていたからだ。いや、通勤時間がなくなった分、仕事時間はむしろ増えている。真夜中まで仕事をするのは当たり前で、時には窓の外が明るくなるまで働いているし、自宅で仕事をするため曜日の感覚も薄まり、土日も完全には休めていない。会社員と違ってお盆やゴールデンウィークの休みもない。
理由は無茶な条件であっても、なかなか仕事が断れないことだ。そんなことをして注文が来なくなったら、年収も仕事も激減してしまうと不安でならない。
しかも手がけているのはどれも同じような仕事ばかりで、なんの成長感も得られない。こんなことではそのうち時代遅れになってしまう。
陽子は思った。これでは前職となにも変わらない。労働時間は異常に長く、休みもとれない。不安やプレッシャーのせいか、最近はよく眠れず、突発的にすべてを放り出したいという衝動にも駆られる。
パソコンから目を離し、部屋の中をぐるりと見渡してみた。中学時代からずっと使っているベッドの上には、脱ぎ捨てた洋服と仕事の資料が散乱している。その光景は、あの「とんでもない会社で働き、家にはただ寝るためだけに帰って来ていたあの頃」とまったく同じだ。
あと何十年も働かなければならないのに、こんな生活を続けていくなんてありえない。「なにかを変えなくちゃ」――30代を目前にして、陽子は真剣に考え始めた。