江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「明治新政府の裏側」を聞いた。
なぜ、「裸体」に神経質になったか
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など
復古、復古と喚いて幕府を倒した途端に開化、開化の大合唱に覆われたこの時、開化主義者がもっとも神経質になったのが「裸体」であった。
この場合の「裸体」とは全裸という意味ではなく、「肌をみせる」ことすべてを含んでおり、混浴や脛(すね)や腿(もも)をみせることなども包含している。
更にいえば、片肌脱いで、という姿も、風呂屋の戸口を開けておくことも「裸体」の系統に入れられるべき「醜態」となるのだ。
この規制に対して、地方では「裸体免許」を求める運動が発生した事例もある。
注目すべきことは、これらの規制は、開化主義者が偏(ひとえ)に“外国人の目”を意識して制定したものであるという点だ。
確かに外国人が日本人の公共マナーの欠落や習俗の範囲に入る行為に対して抗議する、クレームを入れるということは、あったようである。
しかし、規制の多くは、多分外国人が嫌うであろう、文句をいうであろうという開化主義者の先回りした想定や思惑によって制定されている。
確かに日本では、裸に接する機会は多かった。混浴は一般的であったし、百姓や車夫が半裸で仕事をすることも日常的な光景であった。
開化主義者は、このような「裸体文化」とも称された日本人の習俗を外国人が非文明的であるとして嫌悪するならば、多分あれも同様であろう、これも非難されるであろうと先回りして「野蛮」「汚習(おしゅう)」と自己否定して規制の範囲を無秩序に拡げていったのである。
先に紹介した百瀬響氏も『文明開化 失われた風俗』に於いて次のように述べている。
――このような規制は外国人のまなざし―野蛮/文明という判断の―を意識したものであったが、日本国内で禁止された風俗にかかわる項目は、彼らによって批判されたもののみではなかった。
外国人によって直接批判されていないものについても、「外国人が批判するであろうから」という理由で禁止されていく、あるいはまた外国人から批判的意見を聞いたことから、率先して禁止を提案する例もある。――
つまり、彼ら開化主義者は、“率先して”外国人からみて“いい子”になろうとしたのだ。