■4.2
  昼から青葉神社で炊き出し。広島RCCラジオに電話出演。西日本からも「なかなか報道されない現地の状況を伝えたい」と出演依頼いただけるのは有難いことだ。

 炊き出し班は野菜たっぷりのキムチ雑炊をスタート、俺たちは海沿い、山沿いを回り、集落の状況の聞き取り。その地域、集落、家によって、支援物資があるところとほとんどないところがある。ちょっと被災地に来た人が一部の行き届いているところだけ見て、「もう物資は大丈夫」だとか、「泥出しや片付けがいちばんで食料は足りてる」とか、全体も知らずに言わないでほしい。

 南三陸町に行くと、1日おにぎり1個を家族数人で分け合っているという。震災から一度も温かいものを食べたことのない家がある。いまだに電気も水道も通らず、18時には真っ暗。明日から残りの日数を南三陸町志津川地区の旭ヶ丘で炊き出しをすることに決める。

 そういえば今日、元長野県知事の田中康夫氏が松葉杖しながら炊き出しをしてたな。人工股関節の手術をして入院中だったのを、退院を早めて3月19日には南相馬市で炊き出しを始めていたそうだ。凄いな。

■4.3
  南三陸町志津川地区はまだまだ物資が足りない。4月中に電気は復旧する見込み。だが、隣の歌津地区の泊浜は2~3ヵ月かかるらしい。避難所には物資が届くが、家が残っている人たちには、物資がまるで届かない、とのこと。夜は1部屋にみんな集まって石油ストーブで暖をとってる。しかし石油がなくなってしまって暖がとれない家もある。石油の配給もあるが、数日に1回、10名とか20名限定。

 志津川地区旭ヶ丘では昼と夕方2回、3000食の炊き出し支援をさせていただいた。志津川もけっして良い状態とはいえないのに、この地区の方々は歌津地区の心配をされている。心ある方に深く感銘するばかり。この日、仲間が朝から歌津地区泊浜に行き、3600食の炊き出しをした。泊浜は半島になっているため、震災で内陸に向かう1本しかない道路が寸断され、陸の孤島となってしまった。3~4日後、なんとか救援隊に連絡をとり、米軍が海と空から物資を届けてくれたという。

 僕は昨年から依頼いただいていた講演のため、炊き出し班と調査班の仲間を残し、一度栃木へ戻ることに。