国際競争力と言えば個人や企業の競争力がよく俎上に上るが、大学や都市、そして政府の競争力も決して軽視できない。歴史を紐解けば、特に都市の競争力が地域や国をむしろ牽引した事実が明らかとなる(バクダードが牽引したアッバース朝やロンドンが牽引した大英帝国はその典型である)。そして、個人や企業、大学や都市、政府といった各セクターの競争力の強化なくして成長や繁栄があり得ないこともまた人間の歴史の教えるところに他ならない。

3つの構造改革と復興は同じベクトルの下で

 1995年に起こった阪神・淡路大震災と今回の東日本大震災には、大きな違いが2つある。1つは、95年には上述した3つの構造的な課題が、まだそれほど深刻ではなかったことだ。2つ目は、阪神・淡路大震災に比べ、東日本大震災の被災地域は遥かに広大(約6倍)かつ多様で地域性が強く、逆に人口は少なく(約半分)そして高齢化(約7歳)が進んでいることだ。被害総額も阪神・淡路大震災の約10兆円に対して25兆円を上回るかも知れないと囁かれている。

 そうであれば、復興のシナリオも阪神・淡路大震災とはかなり異なったものとならざるを得ないと考える。

 復興構想会議がシナリオを描くのであれば、是非とも考えてほしい重要なことがある。それは、この2つの大きな違いを念頭に置いて、復興構想と3つの構造改革をリンクさせ同じベクトルの下で青写真を描くということである。

 被災地域は過疎でかつ高齢化している。地域住民が主人公になるのは当然として、それを手助けして復興を担う働き盛りの人材は、一体どこから来て貰うのか。被災地域全体を大きな特区として捉え、たとえば、特例で内外を問わず国際的にボランティア人材を募ってもいいのではないか。上手くいけば、少子高齢化対策の大きなヒントとなろう。

 復興財源は、当然のことながら、国債ではなく増税に依るべきである。使途を復興に限定した時限的な復興税が望ましい。徴税コストを考えれば、消費税への上乗せが一番であろう。わが国の財政状況を直視すれば、国債の増発やましてや禁じ手である国債の日銀引き受け等は論外である。世界の笑い者になるだけであろう。

 多少、脱線するが、ほとんどの先進国は国債について概ね次のように考えていると思われる。「政治とはつまるところ税金の分配である。国債とは子どもたちの世代が選挙権を得た時に、彼らが分けるべき税金を親の世代が勝手に先食いして費消してしまうことであって、民主主義の正統性に抵触する恐れが強い。したがって国債は極論すれば非常時の手段であって、財政規律を維持することが何よりも大切である」と。連合王国(英国)のキャメロン首相も、おそらく同様に考えて財政再建に大鉈を振るったのではないか。

 なお、わが国の市民感覚は極めて健全であることを付記しておきたい。最近の世論調査(朝日朝刊2011.4.18)によると、復興財源について増税でが48%、国債でが25%であった。