家計にかかる財およびサービスの価格などを測定した「消費者物価指数(CPI)」。新刊『経済指標のウソ』の著者、ザカリー・カラベル氏によると、この指標は「最も反感を買った経済指標」だという。モノの値段を測る方法がなぜ反感を買うのだろうか。『経済指標のウソ』第6章から一部を特別に無料で公開する。
労働組合が
生活費の測定にこだわる理由
19世紀後半には、物価変動を測定するためのいくつかの試みが始まっていた。労働統計局は、1907年と1912年に複数の都市で予備調査を実施した。1916年には改革論者のミーカー長官が、コロンビア特別区の約2000世帯に対して支出調査の実施を認めた。
このときの回答者への質問は、「世帯の生活費はいくらか」という単純なもので、その結果、1918年には最初の「生計費指数」が発表された。
しかし、この指標の精緻化はすぐには進まなかった。優れた尺度にこだわったのは労働組合だ。組合は、労使交渉での賃金決定は生活費の裏づけが必要であると主張していた。
基本的ニーズを満たす賃金を求めるための唯一効果的な方法は、基本的ニーズを満たすための費用がいくらかかるかを判断するための指数を、中立な第三者に算出させることだった。
こうして、消費者物価指数(CPI)が基本的ニーズを満たすための費用を正確に報告しているかどうかについて、何十年にも及ぶ議論が始まった。
意図的に生活費を
過小評価している?
1930年代半ばには、労働統計局はまだ1917年当時の手法を用いていて、国内各地で四半期ごとに消費財の価格に対する調査を行っていた。
1934年から1936年にかけては、42都市で白人1万2903世帯、アフリカ系1566世帯を対象に支出調査が実施された。
戦争による不況と賃金統制の試練に見舞われた労働組合指導者は、アメリカの労働階級は経済的苦難の矢面に立たされていると考えた。アメリカ労働総同盟会長ジョージ・ミーニーは、労働統計局と政府が大企業と手を結び、生活費を意図的に過小評価していると、その後数十年にわたって訴え続けた。
ローズベルト政権はアメリカ国民をだまし、国民が考えているよりも生活費は低いと思い込ませようとしていると糾弾し、こう宣言した。「労働統計局は賃金を凍結するために存在しているのであって、もはや統計調査のための独立機関とは言えなくなっている」。
こうして国民と政府の公式統計とは、長期にわたって歪んだ関わりを持つことになる。なかでも政府のインフレ統計の源であるCPIほど議論を呼び、反感を招いた数字はなかった。
CPIは、1945年には「大都市における中間所得世帯の消費者物価指数」として使われ始めた。以来、国民に支払う社会保障給付金を少なくするためや、企業が賃金を抑えるため、意図的に数字を操作しているという陰謀説が取り沙汰されるようになった。
21世紀はじめには、CPIは約8000万人の政府給付金に影響を及ぼした。賃金や給付における物価調整はインフレと連動していることが多いため、CPIは私たちの日常生活に最も影響を及ぼす主要指標だろう。
「研究者のための指標」が
いつのまにか国民に広まる
とはいえ、CPIが誕生したときには、これほどの影響力を持たせる意図はなかった。1952年、労働統計局副長官は批判に応え、CPIを改定した。国民は、統計学者や経済学者がほとんど予測しなかったような方法で、指標を用い始めていた。
政府や研究者だけにひっそりと用いられていたものが突然普及し、誰もが言及し始め、社会や政治、文化の価値を測る基準になった。
「(統計専門家は)統計の新しい使われ方によって課せられる深刻な責任を担う準備ができていないし、組織としても対応できない」と長官は警鐘を鳴らした。
政府と民間の統計編纂者が信頼性を確保するつもりなら、厳密な手法を用いるべきであり、批判には敏感でなくてはならなかった。
数字そのものの性質にも問題はあった。物価指数は急速に変化する。地域によって多様性のある変数を含んでいたため、雇用統計や国民経済計算よりも複雑だった。
ニューヨーク市のパン1斤の値段は、イリノイ州ピオリアでの値段とは大きく違っていたし、コムギの値段や輸送費、人件費などによって頻繁に上下する。
物価の代表的サンプルを作成し、結果として生じるインフレ尺度を公平なものにすることは、主要指標が重視される時代においては大きな課題の1つだった。