善意や優しさだけに依存するには限界がある
ボランティアに行きたくなる「仕掛け」を用意するべきでは

 最近「ボランティア観光ツアー」といった形の支援が始まっています。ボランティア活動をしてから温泉に入り、観光や買物をして帰るというツアーです。

 仕掛けを作り、スポンサーから資金を集めないと、支援を持続させるのは難しいということに気づき始めたのかもしれません。しかし、そのツアーを「金儲けだ」「不謹慎だ」と批判する人もいないわけではありません。

 しかし、優しさや思いやりだけに依存して支援を持続させるのは困難です。誰しも自分のことで精一杯ですし、継続的に赤の他人を助けるような行為をできる人はそうそういないものです。そうした時代に起こった震災で、直後こそ自分のお金やボランティア精神を供出できても、日常的に続けられないのも仕方のないことです。

 だとすると、復興支援を持続するために、本来の趣旨から多少ズレたり金儲けの匂いがしたりする仕掛けを入れても、反社会的な行為でない限り構わないのではないでしょうか。

 たとえば、ボランティアに行った人だけをAKB48のシークレットライブに招待する。ボランティアに行けば合コンに参加できる。単なる金銭的な見返りは被災地に行く動機にならないので、現地に行かないと手に入らないものを用意するのです。そうすれば、ボランティアの志望者が増えるような気がします。こうした企業が販促活動で行うようなプロモーションの仕掛けをボランティア増加に利用してもいいと思います。

 純粋な気持ちからボランティア活動をする人は素晴らしいです。そうした人が増えることを願ってやみません。しかし、それらのボランティアだけで活動が行き届かなければ、言葉は悪いですが「よこしまな」動機で参加するボランティアを集めてもいいのではないでしょうか。

 企業も、お金を払って自社のロゴ入りのTシャツをボランティアの方に来てもらうことなどしてもいいのではないでしょうか。それを売名行為と批判するより、それによって瓦礫の山が一日でも早くなくなるほうがよいと思うのです。

 被災地の人も、純粋な気持ちで来ているのか、別の動機で来ているのか、そんなことに気を回すような時期は過ぎたと思います。目の前にうず高く積み上がった瓦礫の撤去を手伝ってくれさえすれば、それでいいと思われているのではないでしょうか。

 よこしまな動機から参加した支援活動でも、被災地の惨状を目の当たりにすれば、自分の心を揺さぶられる人も多くいるはずです。100人のうち10人動かなかったとしても、90人の貴重なボランティアが確保できるのならば、あながち不謹慎とは言えないと思います。

 多くの人は思いはあっても、日常生活の制約から、簡単に被災地に行けるわけではありません。そのなかで持続的な支援を確保するには、善意や優しさだけに頼りきるだけでなく、ボランティアに行きたくなる仕組みを構築する必要があると思います。