失われた15年、これだけの財政の悪化を犠牲にして一体何が得られたというのだろう。私見によれば、この15年は財政の拡大と金融緩和によりわが国の構造改革を進めるための太陽政策、即ち時間稼ぎをしていた期間であったと考える。ただ、戦後ほぼ半世紀にわたる成功体験(高度成長経済)を忘れることが出来なかったわが国の経済主体は、本格的な構造改革に取り組むことに躊躇して、徒に時間を空費したのではないか。そして、その間に国際的な競争力が失われてしまったのである。

 しかし、事ここに至ってはこれ以上太陽政策を続けることは、誰が考えても不可能であろう。私たちは場合によっては北風に耐えながらも構造改革を進めて行く以外に生きる道はない。

 ある雑誌に、これからのわが国は「増税・現状維持派」VS「非増税・改革派」の争いになると書いていた評論家がいたが、一体いつまで高度成長期の夢を見ているのだろうかと訝しく思った。これからのわが国はむしろ「増税・改革派」VS「非増税・現状維持派」の争いになると考えるべきではないだろうか。言うまでもないことだが後者は失われた15年の延長であり衰退への道でしかない。

国を開くことが何よりも重要

 提言の第3章は「原子力災害からの復興に向けて」である。ここでは、一刻も早い事態の収束と国の責務が説かれている。第一原発の現状に鑑みても、東電に任せておいて事態が簡単に収束すると考えている市民はおそらく皆無であろう。国が責任を持って事態を収束する以外に道はない。

 より具体的に述べれば東電に事態収束へのインセンティブを上手く付与すると同時に民間企業の限界を超える部分(例えばアメリカのように民間の事業者が負担する補償額には一定の上限~アメリカの場合は約1兆円~を設けるべきである)については、国がその責任を肩代わりすべきであろう。