そして、それに代わる21世紀の新しい考え方は「同一労働同一賃金」というごく当たり前の原則を打ち立て、その上でレイオフを認めて雇用の流動性を高めることに尽きるのではないか。このことについて筆者には忘れ難い思い出がある。
筆者がロンドンに勤務していた頃、スイスの2つの大銀行が合併した。各々ロンドンに現地法人を有しており、どちらも3,000人程度のスタッフを抱えていた。合併後も3,000人で仕事を行う(すなわち3,000人は解雇する)と公表していたので、驚いてインタビューに出向いたことがあった。「行員をまったく大切にしていないのではないか」という筆者の質問に対して合併の責任者は色をなして激しく反論した。「首を切らなければ、銀行の競争力を低下させ、将来の雇用を失わせるのだ。有為の人材の首を切らないで窓際族として処遇すれば、彼の人生、活躍の場を閉ざすばかりではなく必要以上に有為の人材を抱え込むことになり、社会的にも大きな損失になるのだ。」と。筆者は不明を恥じた。
同一労働同一賃金制と雇用の流動性が実現すれば、結果的に企業の競争力が高まり、将来の雇用が大きくなるのである。また、同一労働同一賃金制の下で雇用の流動性を高めることは決して労働者にとってマイナスばかりではない。一定のスキルがあれば、若者でも高齢者でもがんばれば年功に一切関係なく前と同じ給与が得られることになるからだ。ドイツはシュレーダー政権以降、このように考えて労働市場の抜本的な構造改革を行い2005年には500万人を超えていた失業者数を2010年には300万人を切るレベルにまで低下させたと言う。これは、わが国の失業者数を下回る水準である。
青田買いは若者の就職機会を少なくする
ところで、現在のわが国の労働慣行は、若者の雇用にとってどのような意味を持っているのだろうか。わが国のこれもかなり特異な採用形態は、俗に「青田買い」と呼ばれる新卒一括採用システムにある。このシステムは、経済の高度成長期に適したものであり、一刻も早く黙々と働く企業戦士を大量導入するための優れた仕組みであった。だからこそ2011年7月5日付のこのコラムで述べたように、青田買いが税金泥棒のようなものであっても社会的に許容されてきたのである。青田買いは、俗に一浪一留(1年間浪人、1年間留年)もしくは合わせて3年間程度は新卒として許容するものの、それに外れた若者(大学院生や留学生、ギャップイヤーの活用者等)を除外するシステムでもある。
ということは、わが国ではワンチャンスで青田買いシステムに乗らなければ、極論すれば後はフリーターしかないということにもなりかねないのである。したがって若者のニーズが多様化している今日にあって、若者の雇用を考える場合には、現行の新卒採用一括システムにもメスを入れなければならないと考える。