しかし資本主義の歴史もせいぜい400年、金本位制の崩壊(実態資源、つまり金(キン)の信用を母体としない時代)からだと、まだ40年も経っていない。つまり現在のシステムは、絶対的ではないはずだ。

 実際に今、信用の担保を放棄して政治的に発行・管理されることで、貨幣の価値がグラグラと揺れるようになってきた。

 最近のニュースにみられる、米国の国債の暴落、ギリシャに続くスペインやイタリアの財政問題の露呈、そしてもちろん為替における暴力的な円高…このような信用の崩壊は、お金の「道具」としての価値を下げつづけている。

“お金”と“ネット”は
実は「競合商品」なのだ

 一方で、情報技術の発達によって、ネットワーク環境はどんどん整備されつつある。

 ネットの本質は(需要と供給の)マッチングであるから、ネット環境の充実によって、究極的には、自分が持っている物と自分が欲しい物を「直接」「即座」に交換できるようになってくる。

 ここでは一見、原始的に見える「物々交換」が復活する。つまり、(あまり信用のできない)“お金”というツールを介在してやりとりするよりも、直接、人参とタマネギをネットを介して交換するということだ。

 実際、インドネシアのように、自国貨幣の価値の上下が激しい一方でネット環境が充実しているため(インドネシアはFacebookの浸透率が世界第二位)、ネットを介在した物々交換が盛んな国々がある。それが理屈でなく、現実の変化だとわかるだろう。

 先進国も例外ではない。“シェア”という言葉が席巻しているように、モノやサービスを直接共有したり、交換することが頻繁に行われている。