これは、『シェア(SHARE)』の共著者の1人、レイチェル・ボッツマンが実際に行ったことだが、彼女は「swaptree」という交換サイトで、自分の持っている『24(トゥエンティーフォー)』のDVDボックスが何と交換できるのか検索した。すると、なんと約6万件の候補が見つかった。その中から『セックス・アンド・ザ・シティ』のDVDを持っている女性と、これを交換することに彼女は決めた。
(*)シェアについての詳細はこちらの講演がわかりやすい
こうした動きはつまり、シェアというより、貨幣を“ショートカット”した直接的な「交換(交易)と交配」に他ならない。
ネットの中に、“信用が保存”され、欲しい物と与える物がネット上で直接やりとりされるようになったとき、人々は、はじめて現在のお金が“絶対的”な存在ではないと気づく。貨幣という絶対視していたものが、ネットワークという競合商品の存在によって、初めて“相対化”されるためだ。
そのとき「お金は取引における手段の一つに過ぎない」と初めて理解する。特に、人はイノベーションやパラダイムシフトを起こしたいときほど、貨幣という無機物を通じた取引より、有機的な交わりである「交配」を重視するだろう。
もちろん僕は、ネットワークによって物々交換が促進されるからといって、貨幣が完全に駆逐されるなんて楽観的なことは考えていない。今もって、生活者が家電量販店で炊飯器を買うような単なる「交換」においては,貨幣はまだまだ有利なツールだ。貨幣を仲介としない(ショートカットする)信用経済は、しばらくは資本主義経済の補完的な存在でしかないだろう。