前回は、貨幣の電子化やネットワークによる信用の可視化で、母体となる信用さえあれば、個人や企業がお金を「発行」するようになってきた世界について書いた。各国の中央銀行が発行する貨幣の価値がグラグラと揺れ動く今、「信用」そのものを養うことの大切さについて改めて考えて行きたい。第3回となる今回は、もっと進んだ世界、つまり貨幣を“ショートカット(中抜き)”して取引を行う時代について書いていこう。
この連載コラムのテーマは、あくまで「21世紀を生き延びるためのリテラシー」である。
にもかかわらず僕は、お金について、そして資本主義の進化について繰り返し書いている。一見、回り道に見えるが、これから起こる根源的な社会システムの変化を充分理解することが、柔軟な対応力を得ることにつながる。それが、表面的なスキルにとどまらない、真のリテラシーになる、と信じている。だから、このお金というテーマについてもう少しお付き合い頂けると嬉しい。
お金が過去、進化し
価値を下げるに至った歴史
唐突だけど、人類の進化を支えてきた最大の機能はなんだろう?と考えてみると、それは「交換(交易)と交配」だと思う。
人類は「交換」を通じてモノを作り、「交配」によって知識を結集し、生活環境を向上させ、寿命を延ばしてきた。
「交換(交易)と交配」の要である、お金と社会の変遷には密接な関係がある(図1)。
その昔、社会が自給自足からそれぞれが得意なことに特化する分業社会へ進化する過程で、お金はモノの“価値指標”となった。この段階では、当然ながら交換されるモノが主役で、お金はそれを結びつける触媒にすぎなかった。
しかしその後、お金は実際に存在するモノ以上に大量に発行され、単なる価値の指標ではなく、それ自体が価値となった。お金は神格化され、人々はモノではなくカネを得ようと考えるようになった。
同じ時期に、実態経済と金融経済の規模の逆転が起こり、現在でもそれは続いている。
2006年時点で、実体経済は約70兆ドル、それに対し金融経済は約570兆ドルに達している。つまりこの世界には、実態の8~10倍のマネーが常に存在していることになる。そして「お金でなんでも決めることを前提」とした資本主義の時代が定着した。ここにきて、お金は絶対的な概念となった。世界中の人が、お金はお金であり、それに並ぶものなど存在しないと思っている。