コラム 方向性の設定:アメリカン・エキスプレスのルー・ガースナー
ルー・ガースナーは1979年、アメリカン・エキスプレス(アメックス)の1部門、トラベル・リレーティッド・サービシズ(TRS)の社長に就任した。TRSは当時、130年というアメックスの歴史(同社の創業は1850年)のなかでも屈指の試練に直面していた。
というのも、多くの銀行が、アメックスと競合関係にあるVISAやマスターカードと提携してクレジット・カードを発行し始めた、あるいは準備しつつあったのである。くわえて、数十社もの金融サービス会社が、相次いでトラベラーズ・チェック事業に参入してきた。成熟市場でこれほど競争が激しくなれば、通常は利益率が下がり、成長が頭打ちになる。
しかし、ガースナーの見立ては違った。アメックスに転身する前の5年間、彼はコンサルタントとしてTRSと一緒に仕事をし、赤字続きの旅行サービス事業部と競争が激化するクレジット・カード業務を分析していた。
ガースナーと彼のチームは、経済情勢、市場動向、競争状態について抜本的に調査する一方、TRSのビジネスについて理解を深めていった。彼はその過程で、成熟産業のなかで130年間続いてきた企業らしからぬTRSのビジョンを描き始めた。
数多の銀行からVISAやマスターとの競争を強いられているにもかかわらず、ガースナーは、TRSには活力あふれる成長企業になれる可能性があると見ていた。そのカギは、グローバル市場、とりわけアメックスがこれまで最高級サービスを提供してきた富裕層に注力することだった。
この市場をより細かくセグメント化し、さまざまな新商品や新サービスを積極的に投入し、生産性の向上とコスト削減に投資することで、TRSは、お金を自由に使える顧客層向けに最高のサービスを提供できるだけでなく、これまで以上のサービスの利用も期待できる。
就任して1週間も経たないうちに、ガースナーはクレジット・カード業務のマネジャーたちを集め、それまでの運営方針について問い質した。特に、だれもが当然視していた2つの考え方に疑問を呈した。
●当該事業部が扱う商品は〈グリーンカード〉だけである。
●〈グリーンカード〉の場合、成長とイノベーションの可能性は限られている。
またガースナーは、起業家精神あふれる企業文化を醸成し、そのような文化のなかで成功を実現できる人材を採用・育成すること、そして社員たちに全体的な方向性をはっきり伝えることにも急ぎ取り組んだ。
彼と他のTRS経営陣は、筋の通ったリスク・テイキングには報奨を与えることにした。起業家精神を発揮しやすくするために、無用なお役所仕事をなくした。また、人材採用基準を引き上げて、将来有望な若手社員向けの特別研修「TRSグラデュエート・マネジメント・プログラム」を創設し、さまざまな経験を積ませたり、経営陣と密接に交流したりする機会を与えた。
TRSの社員全員にリスクを奨励するために、ガースナーは「グレート・パフォーマーズ」という制度を立ち上げ、TRSのコア・ビジョンである「真に比類なき顧客サービス」を実現した者には報奨を与えることにした。
これらインセンティブの効果はすぐに表れ、新市場の開拓、新商品や新サービスの開発に結びついた。国外においてTRSのプレゼンスは飛躍的に高まり、88年時点でアメックス・カードは29通貨に対応していた(10年前には、わずか11通貨だった)。また、それまではほとんど注目されていなかった2つの市場セグメント、すなわち「学生」と「女性」を積極的に開拓するようになった。
81年には、法人顧客向けに出張費のチェックと管理ができる統合システムを提供するために、TRSはクレジット・カードと旅行サービスを統合した。また88年時点で、アメックスは全米5位の通信販売会社へ成長していた。
〈ショッピング・プロテクション〉(アメックス・カードで購入した商品がすべて、90日間保証されるサービス)や〈プラチナ・カード〉、〈オプティマ〉というリボルビング払いができるクレジット・カードなど、新しい商品やサービスも生まれた。
88年には、利用明細書の作成にイメージ・プロセッシング技術(画像をデジタル・データに変換・処理する技術)を導入し、利便性の高い月決め計算書を顧客に提供すると同時に、これら請求業務のコストを25%削減した。
こうしたイノベーションの結果、TRSの純利益は78年から87年にかけて、何と500%(つまり年平均18%成長)も増加した。これは、いわゆるハイテク/高成長企業の多くをしのぐ成長率である。
また、88年のROE(株主資本利益率)28%も、大部分の低成長/高収益企業の実績をしのいでいる。(本文に戻る)