「ありがとう」の気持ちが夫婦を育てる
家族の柱は夫婦です。
夫婦関係をよいものにするのが、よい家族を築くポイント。もちろん、ご家族ごとにさまざまな事情がありますから、これがすべてとは思いません。しかし、夫婦同士が信頼し合える関係を築くことができれば、子どもは自然とまっすぐ育ってくれるということを否定する人は少ないでしょう。それだけではありません。信頼できる配偶者こそが、ビジネスパーソンにとって最大の援軍になるのです。
その点で、私はとても恵まれたと思っています。最高の妻と人生を歩むことができたからです。青年の船で出会って以来、彼女は常に私を応援してきてくれました。国立マラヤ大学の交換留学制度を教えてくれたのも彼女でした。そして、無一文の私がマレーシアで事業家をめざすという、普通の人ならば「無鉄砲」と評するであろう挑戦を受け入れて、結婚してくれました。
その後、私たちはずいぶんと苦労しましたが、その間、ただの一度も愚痴や不満は口にしませんでした。私は、妻が「日本に帰りたい」といったときは夢をあきらめなければならないと覚悟をしていました。しかし、私が日本企業の現地法人を解雇されたのを知ったときも、シンガポールの華僑のボスとトラブルになったときも、彼女は決して「日本に帰りたい」とは言いませんでした。
彼女の親戚のなかには、マレーシア行きに反対する人もいましたが、彼らを前にしたときもネガティブなことは口にしませんでした。どんなに辛いことがあっても、GOOD STORYしか話さなかった。日本人駐在員のパーティのあと涙を流したこともありましたし、それ以外にも惨めな思いや悔しい思いは無数にしていたはずです。しかし、彼女はそんなことはおくびにも出さず、どこでも私を応援してくれたのです。
月に5000kmを走ってマレーシアじゅうを営業していたころ、シンガポールに帰ったときは、夕飯を食べたあと、家の前にあったブランコに2人で乗っていろいろと話したものです。私は、「これから給料が増えるからね」「資金をつくって、俺は必ず独立する。このままではいないよ」と語りかけました。妻は、それを黙って聞いてくれました。本当は、異国の地でどれだけ心細い思いをしていたのか知れません。言いたいこともあったはずです。しかし、不満をぶつけることもなく、私を信じてくれました。
あのころから、もう50年近い歳月が流れました。この間、本当に仲良く過ごしてくることができました。70歳を過ぎて「アイ・ラブ・ユー」もありませんが、私の人生の最大のパートナーは妻です。彼女の存在がなければ、今の私は絶対にありません。そのことに、いくら感謝してもしきれません。
いや、私は彼女に深い敬意を覚えるのです。
なぜなら、一切の愚痴を言わなかったのは、私に対する思いやりだけではなく、彼女自身が私と結婚するときに覚悟を決めたからだと思うからです。自ら望んで決めたことをやり抜こうという覚悟があったからこそ、一切の不満を口にせず、私を応援してくれたのだと思います。その生き方に、私は敬意を覚えるのです。