一手間も二手間もかけた手作りのさつま揚げに蕎麦豆腐
蕎麦屋ならではの一品についつい杯を重ねてしまう

玉ねぎをイメージして作られた大きなさつま揚げ。噛むとしゃきっとした玉ねぎが入っている。ベーコンで巻いて揚げて薄皮に似せた凝りよう。

 傑作はさつま揚げだ。玉ねぎをそっくりイメージして完成させた。

 玉ねぎは刻んだものを包んであるのだが、表面をベーコンで巻いて玉ねぎの薄皮を表現してある。その遊び心に客もつい微笑む。

 蕎麦豆腐には、辛つゆと甘つゆ※1をブレンドしたつゆがかかっており、ほのかな味わいを舌に届けてくれる。蕎麦の実もあしらって、蕎麦屋ならではの一品になっている。

蕎麦豆腐は、蕎麦屋の出汁汁が美味さを引き立てる。あしらわれた蕎麦の実もいいアクセントだ。

 コース料理のメインでは、亭主自らが座敷で接待をする。鴨鍋は丁寧に食材を出汁の中にいれ、椀によそってくれる。給仕をする亭主と話せる実に楽しいひと時だ。

「蕎麦は行きつけの料亭の女将から習ったんです」と蕎麦屋転身のきっかけを客から聞かれて宮下さんが答える。

 57歳からの蕎麦屋開業だから、多くの客がそのことを聞きたがる。宮下さんが、どうセカンドライフを組み立てていったかも、今の客たちには興味のあるところには違いない。

亭主の宮下和夫さん。客とのコミュニケーションを大事にする宮下さんは、コース料理のメインでは自ら給仕してもてなす。蕎麦屋の亭主の話は味わいが深い。

 40歳で後半の人生を陶芸家と志を立てた宮下さんは、5年ほど仕事の合間に励んだが、器を他人に売れるまでは至らないと悟った。

 そんなとき、懇意にしていた店の女将が趣味で蕎麦を打っていて、宮下さんに教え込んだそうだ。

 思わぬ人との縁で人生の道は変化するもの。この女将との出会いが宮下さんを蕎麦屋の道へと向かわせた。多くを語らぬ人だが、そこに至るには決して平坦な道ではなかったようだ。

※1 辛つゆと甘つゆ:冷たいせいろ蕎麦に漬けるつゆを辛つゆといい、温そばのかけ汁のことを甘つゆ(甘汁)という。甘つゆは辛つゆを単純に出汁で割って薄める店と、別に作る店がある。別の場合は出汁取りの食材を鰹に加え、雑みや複雑なこくを出すために鯖、あご(飛び魚)、うるめなど3~4種類を煮出す店もある。さらに、醤油を変えるところもある。辛つゆと甘つゆでブレンドすれば、その比例配分で様々な味わいのつゆのベースができる。和食料理屋との違いがそこにある。