「加工食品のような英語」ばかり摂取させない

「既知の原則に基づいて個別の問題を解く」という演繹的な頭の使い方は、知性を磨いていくうえでも、社会を生きていくうえでも不可欠です。たとえば、いくつかの公理や証明済みの定理を用いながら、問題を解く「数学」などは、まさにこうした発想の力を養成することを目的としています。

奇妙なのは、「英語」科目にこれが入り込んでいることです。文法知識を組み合わせてじっくりと「パズル」を解く能力は、文脈に合わせて瞬時に音声で応答する能力とイコールではありません。後者には別のトレーニングが必要です(和泉、2009)。

現実のコミュニケーションを考えてみてください。目の前にあるのはいつも、構成パーツが明確な骨組みではなく、骨と肉が渾然一体となった“かたまり”です。

受験英語には「子どもはこの『かたまり』を消化できない」という先入観があります
しかも、このような考え方は学習者の側にも浸透してしまっています。塾で宿題として課した多読用の図書や動画教材に未習事項が少しでも含まれていると、「まだ習っていないのに!」とお怒りになる保護者や生徒がいます。

そこで学校英語は、部位別にバラバラに切り分けて処理を加えた“お腹にやさしい加工食品”だけを与えています。この合成飼料で純粋培養された子たちは、「大学受験」という牧場内ではいくら優秀でも、英語コミュニケーションの荒野に解き放たれてしまうと、「生の英語」がまったく消化できません。

現実の英語はつねに「かたまり」でやってきますから、多少わからない要素が含まれていようと、自分で意味を想像しながら一定量のインプットを継続することが欠かせません。そのほうが文法知識の定着や応用力の養成にはプラスですし、かかる時間も少なくて済みます。