ものわかりがよいことは、一見とてもよいことのように思えます。でも、『20代に伝えたい50のこと』(ダイヤモンド社)の著者秋元祥治さんは、若者にとって、「ものわかりがよいこと」。それが何を意味するのか考えてみようと、投げかけます。本連載では、『20代に伝えたい50のこと』から抜粋しながら、メッセージをお伝えしていきます。
なぜ、若者に「ものわかりのよさ」は必要ないのか?
ものわかりのよいこと、は一見とてもよいことのように思えます。辞書をひいてみると、(1) 理解が早いこと、(2)意向を汲んでくれる、(3)分別をわきまえている、といった意味で使 われるようです。
どれもとてもよいことのように思われています。(1)理解が早いことについては誰もがよいと思うことでしょう。(2)・(3)も、社会の中で人間関係を円滑にしていく上ではとても重要ですよね。ことに日本では、「空気を読むことが、大事だ」なんて言われたりするのも、まさにものわかりのよさへの評価だといえるでしょう。
そして、僕自身もものわかりのよいことは、とても大事なことだと思ってきました。
一方で以前、東証に上場する広告会社・中広の後藤一俊社長とご意見交換の機会をいただいた際の一言が、いまだに強烈なインパクトがあります。
ものわかりのよい若者なんて、 いる意味がない。
はっきりと断言されて、「えっ?」と思わず聞き返してしまったくらいです。「これまでの先例はこうだから、こうしよう」とか、「あの人とこの人のバランスとって、そうしよう」とか、「順番や立場を考えると、ここはおとなしくしていたほうがいい」……ということは仕事の現場などではよくある判断ですよね。
冒頭の3つの意味で言えば、主に(2)(3)の用法です。
しかし、若者にはそんなものわかりのよさなどいらない、と断言されるのです。
なぜか、とおそるおそる伺ってみると、こう答えてくださいました。