母親はまじめな人だったので、非常に意外に感じた。
当時、“不文律”で新人たちは1時間早く来て、簡単な掃除や灰皿や茶碗を洗ったりしていた。あと、空港への単なる出迎えなど、人件費がタダだと思うからやらせるいろいろムダな仕事があった。
実家は会社経営をしており、母も共同経営者である。
当時、女性はやはり「雇用均等法」などで、働くことを煽られていたが、オカンも働かせる立場の方なわけで、企業の手の内がわかる。
「残業しません宣言」をしたら
大騒ぎになった
大阪では自分の会社の社長より、オカンがえらい。
さて、翌日、会社に行き、「残業しません宣言」をしたら、大騒ぎになった。
上司が血相を変えて上に相談に行き、エラい人に順番に呼ばれてコンコンと説教されたのを覚えている。
しかし当時、日本社会を最初からあきらめ切っており、“意識低い系”であった私は、何を言われてもなんのその、定時は無理でも、まあ半年ぐらいは基本ムチャはせず帰った。
若い男性たちは、逆らわずダラダラ仕事と残業をし、体力を温存していた。
大手商社勤務の父親から、「サラリーマンは力を出し切るな!」とか「福利厚生を使いまくれ!」とか、教えてもらったという男性もいた。
一方、同期の女性は、中国語と合気道ができ、やる気満々。上司の「残業したら仕事も早く教えてやる」の言葉に騙され?日々、本当にムチャな残業していた。
そして3ヵ月目ぐらいから体調を崩すことが多くなり、1年で退職した。
これをやっぱりオンナは、というのは大間違いである。
上司のマネジメントが悪く、経営意識がなかったのである。