採用にも育成にもコストがかかる。いま思っても、彼女は非常にその仕事に向いており、スキルもやる気も充分で、最初の1〜2年さえうまく乗り切れば、大きな戦力になっただろう。

 会社自体のマネジメントもひどかった。のちに社員はずいぶん増えたが、当初の50人ほどの社員のうち、20〜30代の15人ほどだけが、とにかくフル稼働している。他は「いるだけオジサン」が多い。

 ダイエーが自社の商品の輸入だけでなく、中国へのスーパー進出を狙っても作った会社で、中国の対外貿易局のエラいさんがいたり、なぜか隣に突然北京放送のアナウンサーが座っていたこともある。

 いま思うと、トップは自分のコントロールの効く若手だけに全部の業務を被せていたのだと思う。

パートさんに出社を強要し
訴えられていた男性上司

 社長はダイエーの社長だったが、普段、社にいるトップは、ダイエーの店長時代に、パートさんに子どもの運動会を休んで出勤するように強要し、訴訟されたというツワモノである。

 “武勇伝”として自慢げに話す彼に、「で、ご自身のお子さんの(運動会の)ときはどうでしたか?」
と、聞いたら、「おお、オレのときはな、ちょうど仕事の都合がついて、全部、参加したんや」

「今後、こいつの言うことは絶対信用するまい」と思ったのを覚えている。

女子の方々、上司のいう、むやみな「ガンバレ!」はこんなものである。

 港湾倉庫に行くと、相手の中年男性が女性の私だけ名刺を渡すのを“無意識に”飛ばしたりする時代だったが、そもそも社会への期待値がゼロのため、あらゆることが逆にスルーできた。

 会社は、男性は各年齢層がいるが、当時の女性は若い社員しかいない。日本の会社は「要はキャバクラなんだな」と思ったのを覚えている。

 今は知らないが、当時の日本の会社は、どこも“おじさんによる、おじさんのための、おじさんの天国”である。