金融危機には多くの数字がつきまとう。

 たとえばリーマン・ブラザーズの負債総額。実に6130億ドルにのぼる。日本円に換算して約70兆円。外貨、しかも巨額となると、インパクトは大きい。一方、私たちの生活からかけ離れた数字は、その理解を越え、感覚を麻痺させる。日本でも2008年以降、大幅な円高や株価の暴落、失業率の上昇などが取りざたされたものの、マクロの数字が並べば並ぶほど、それは紙面上の記号となり、実感を持って原因や影響を想像しづらくなった。

 しかし、これらの数字に社会との接点がある限り、その背景には必ず一介の市民が存在する。実際に現地に赴き、人々の物語に耳を傾けると、大きく無機質な数字の向こうに、彼らが職を失い、家を失い、また住み慣れた土地を離れなければいけなかった真の事情が見えてくる。

 客観視や定量化ではなく、現場の生々しいディテールを知らなければ、そもそも何が問題なのか、そこから発生するニーズや実践的な解決策も見えてこない。エスノグラフィーというアプローチが、もはや文化人類学や社会学という学問の領域を越えて現代の社会で必要とされている理由である。

 たとえばアイスランド通貨「クローナ」の下落。クローナは金融危機直後に一時、3分の1までその価値を落とした。

 当然、アイスランドの貿易に大きな影響を及ぼす。アイスランドで展開していたマクドナルドは、肉や野菜など原材料をドイツから輸入してきたが、クローナの下落でその輸送コストを吸収できなくなり、遂には撤退した。このニュースは、切迫したアイスランドの象徴として、世界中のメディアで大きく報道された。

 しかし、実際に行ってみると、マクドナルドはそもそも3店舗しかなかったという。加えて、首都レイキャビクの市街地には、ホットドッグ・スタンドや羊の肉がたっぷり挟まれたサンドイッチ、ロブスターの身がたっぷり入ったスープなど、考えるだけお腹がすくような安くておいしい食べ物が溢れていた。私がマクドナルドの話をしても、当のアイスランド人は「それがどうしたの?」と気にも留めない顔である。

 ステレオタイプに報じられたニュースの背後で、実際にアイスランド・クローナの下落によって一番の痛手を受けたのは、一般市民だ。

 外貨建てでローンを組んだ人は、クローナに対して相対的に外貨の価値が上がったために、返済額が当初の3倍にも膨らんだ。さらに深刻なのは、日常生活で消費するパンや牛乳といった食品価格の高騰だ。金融危機以降、今日に至るまでに6割高になった。住宅ローンを抱え、子供を持つ一般家庭の生活は、確実に圧迫されている。

「もう限界に来ている」と語るアスタさん(沼田逸平撮影)

 750万クローナを借りて西部に家を購入したシングルマザーのアスタさんは、既に350万クローナを返済したはずなのに、未だに1200万クローナも返済金額が残っていることに首を傾げる。「私はこの国を愛しているけれど、もう限界に来ている。もし自分の子供たちに食べ物が買い与えてあげられないところまで来たら、私はこの国を出る」と言い切った。