段永平氏は広東のつぶれかけていた工場を、ゲーム機の製造やジャッキー・チェンの大胆な広告で救った。そして、社内の数人を引き連れ退職した。95年に同業種の教育機器メーカー“歩歩高”を設立した。
歩歩高の語学学習機は、2000年代はどこの大学の購買部でも売っていた。自分の発音と先生の発音を対比させ、リピートできる。当初はカセットで、後にはデジタルになった。
私も留学時は2回、買い換えるほど使ったし、今の英語うまい中国人は全員使ってたんじゃないかと思うほど、大ヒットした。
その後、段永平氏がその連れてきた部下たちを社長として独立させたのが、oppoとvivoといわれている。
ルーツとして、若者マーケティングに強く、vivoも現在シェアは世界5位である。
いわば、かつては日本のマネをしていた中国の企業に、日本は現在、大きく水をあけられている。
誰も言わない
日本の携帯が中国で負けた本当の理由
私が中国に渡った2001年は、ちょうど中国が“携帯大戦争”に突入した時代である。
まさに雨後のタケノコのように携帯ショップができ、当時、日本もSONY,京セラ、東芝、NEC……、20社ほどが中国市場に参入していた。
しかし売り場で見る、日本の携帯はどれもガラステーブルの端に追いやられ、ホコリをかぶっていた。当時、日本と中国では圧倒的な技術差があったにもかかわらず、である。
当時、その理由を販売員に聞いてみると、
「売れないから。英語だけで中国語が打てないのよ」「使いにくい」「電池の持ちが悪い……」
私は<えー、それ本当に日本のメーカー製?偽物じゃないか>と思ったが、まさに正規品だった。